長崎のホテルにて

一週間前の自分がいかに甘かったかを思い知った一週間が終わった。月曜日から金曜日まで、朝早くから営業に出ていき、ホテルに戻るのは一番早い日でも夜9時、月・水・金は懇親会があったため深夜の帰還となった。仕事のことを考えないように努力する必要なんてなくて、ホテルに帰ったらもうひたすら休みたい、寝たい、そして翌朝は疲れを見せずに明るく元気に「おはようございまーす」と出動する、それを繰り返しているうちにまたたくまに一週間が過ぎた。


でも、営業活動はきついけれど、一日に何人かは、「ああ、この人に出会えてよかった」という出会いがある。営業的に数字につながるものかどうかはわからないけれど、自分にとって糧にはなるし、長い目でみればきっと、営業的にも価値がでてくるはずだと思う。仕事にさしさわるのであまり具体的には書けないが、金曜日はいままででサイアクの出会いが一件あって、会社や営業の方々に迷惑をかけるわけにはいかないと思ってウソつき笑顔を顔にはりつけて後ずさりして部屋を出てきたけど、もうあと3分あの場にいたら、わたしは相手に何を言ったかわからない。次の営業場所についてもまだしばらく手足が震えていたくらいだから、ほんとうに腹が立っていた。もう今日は仕事できないって思ったけど、思い直して夜までがんばって、そしたらがんばった甲斐があって、夜に開かれた会議で出会った方々は、ほんとうに素敵な人ばかりだった。土曜日も同様。金曜日も土曜日も、お会いするまではちょっと気が重かったんだけど、お話しているうちに楽しくて夢中になってしまって、時間があっというまにすぎちゃって。小池昌代だ、川上未映子だ、関川夏央だ、カズオ・イシグロだ、なんて固有名詞がとびかう酒席が、楽しくないはずないよねー。もちろん、ほとんど仕事とは関係ないけど。


今日はこの出張中、唯一の休日だった。疲れてるからホテルで休んでいようかとも思ったんだけど、あんまりお天気がいいので、もったいないかなと考え直し、12時長崎駅発の定期観光バスに乗ってみた。原爆資料館や出島、大浦天主堂グラバー園など、主だった観光地をバスでぐるぐるまわるのだが、今日は気温がどんどん上がって夏みたいだったので、観光バスに乗ったのは正解だった。集合時間を気にしなくちゃいけないのがちょっと面倒だけれど、そこそこ説明も聞けるし、施設の入り口でいちいち財布を出さなくてもいい。自分から話しかけないかぎり誰も話しかけてこないので、気を使うこともない。マイペースでのんびりと観光客気分を味わった。


原爆資料館で感じたことを少しだけ。いろいろ悲惨な写真とか焦げた衣服とか被爆体験を語っている映像とかあって、どれもそれなりに心を揺さぶられるし、おごそかな気持ちになるのだけれど、わたしが最も胸をつかれ、涙を禁じ得なかったのは、原爆で幼い子どもと妻をなくした男の人の短歌の数々だった。8月9日の原爆投下から8月15日の終戦までに、子どもが順に息をひきとり、最後に妻がなくなって、妻の体を自分で焼いているときに、日本は終戦をむかえる。そのことを、詳細な記述でも、激しい感情的なことばでもなく、短歌という形に凝縮しているからこそ深く訴えるものがあるように思う。その短歌が技術的にうまいのかどうかはよくわからないけれども、少なくともわたしは、他のどんな悲惨な映像を見るよりも強く、「ああ、このようなことを二度と起こしてはいけない」という思いをかきたてられたのだった。


グラバー園あじさいがとてもきれいで、お天気がよかったからグラバー園から見下ろす長崎の港は絶景だった。ホテルに戻って自然食のレストランで夕食。おなかいっぱいで部屋に戻り、たまっていた仕事のメールを一気に送り、やっとブログを書く時間ができた。「母の遺産」と「1Q84」の感想を書く元気はまだない。今日からやっと次の本を読み始めた。これから1時間ほど読書をして、それから眠ることにしよう。明日もハードな営業の一日が待っている。