テレビと木皿を買った

出張から帰って最初の週末。土曜日はまたしても重要な編集会議があって出社したのだが、日曜日は久しぶりに同居人ともども完全なオフとなった。そこで考えたのは、「テレビを買いに行く!」ということ。この一ヶ月ほど、同居人がperfumeというアイドルグループというかミュージシャンに夢中で、彼女らのライブを録画したブルーレイをどうしても見たいとかで、ブルーレイが見られる最新型のテレビを「僕がお金出すから」買いたい、というのだ。わたしとしてはperfumeはまあどうでもいいのだけれど、出張中は各地のホテルに泊まっていたわけだがどこのビジネスホテルの部屋のテレビよりも我が家のテレビはしょぼい、ということがわかったので、考えてみればテレビはそろそろ買い換えの時期かも、と思い、同居人の願いを叶えてあげることにしたのだった。


午前中のうちに買えばその日のうちに届けてくれるから、といつになく熱心な同居人にひきずられるようにして、朝いちばんで吉祥寺のヨドバシに到着。感じのいい店員さんのトークにのせられて、希望どおりのテレビを購入し、西荻窪のぼぼりでアイスを食べて、ご機嫌の帰宅となった。夜8時過ぎに商品が届き、早速、perfumeのライブを鑑賞。同居人が力説するほどには感心しなかったが、でもまあ、夢中になるのはわからないではない、というのがわたしの正直な感想。自宅で同居人が楽しそうにしているのはいいことなので、とりあえずperfumeと新しいテレビに感謝。


今日は午後休暇をとって、東大の駒場博物館で開催中の「W.B.イェイツとアイルランド」という展示を観に行った。この展示の内容に詳しい友人が、ひとつずつ説明をしながら一緒にまわってくれたので、かなりしっかりと堪能できたのではないかと思う。イェイツという人は、パンフレットの写真を見る限りなかなかいい男で、その人生も結構ドラマチックだということもわかり、これまで断片的だった知識が、今日の展示を見てきちんと整理されてつながった、という感じがした。有名な「イニスフリーへ行こう」という詩のイェイツ自身の朗読なんかも聞くことができたし、何よりびっくりしたというか嬉しかったのは、なんとなくタイトルに聞き覚えのある作品の朗読を聞かせてもらったら、それが二十五年前に大学の授業でわたしが当たった詩だった、ということ。説明をしてくれた彼女と違って、わたしはほんとうに、学問からは遠く離れてしまって、ここ数週間はまったくもって営業ウーマンに徹しているわけだけれども、でも、大学生のときに一生懸命辞書をひいてイェイツの詩を理解しようとした経験は、やっぱり得難いものなんじゃないかな、と思う。わたしは今でも詩が好きだし、イギリスやアイルランドの文学が好きだし、それらについて書かれたものを読んだり、話をきいたりするのが好きだ。


会場を出て、友人と食事に行く。途中、住宅街の中のちょっとこじゃれた器屋さんに立ち寄り、そこで売っていた木皿に一目惚れ。朝食用に二枚購入した。これ。↓
http://shop.icuralight.com/
わたしは小物や衣類を衝動買いするということは滅多にないんだけど、今日はどうしても買いたくなってしまったのはなぜだろう。同居人がperfumeのためにテレビを買ったからなのか、イェイツ展をみて文化的な気分になっていたからなのか、あるいはそのどちらでもなくて、出張旅費を精算したのでたまたま財布があたたかかったせいか。いただきものやバザーやスーパーで買ったお皿ばかりの我が家の食器棚だけど、こうやって少しずつ自分の好きなものを買っていくのも悪くないな、と思った。(せっかくだからちゃんと朝食を作るように、という同居人の声が聞こえてくるようだ。)


友人と美味しいイタリアンを堪能して帰宅。何かを愛するということと、何かを称賛したり批評したりする、ということの関係について考えた。批評や批判の精神が自分には著しく欠けている。perfumeでも木皿でもいいのだが、好きなものに囲まれて心穏やかに暮らしていければそれでいいような気もするが、なんとなくそれではいけないような気もする。仕事と私生活はべつ、と考えればいいのかもしれないけど。いやしかし、仕事上ではしっかりと批評・批判をしているかというと、そうでもないな。やはり、八方美人の性格の問題か。


追記
帰宅した同居人に木皿を見せた。案の定、「悪くないけど、普通じゃない?」というお返事だった。ぶーん。