モノとしての書物

一週間の出張から帰った翌日に重要な会議があり、その後も連日日帰り営業活動が続き、気の抜けない日々が続いていた。週末やっと時間がとれたので、グロリアクラブという愛書家の団体が開催している講演会に出席。
これ。↓
http://www.yushodo.co.jp/grolier/grot4.html
英文学者の原田範行先生が、翻訳した「本―その歴史と未来」という本の紹介をしながら、近年の電子媒体の隆盛をふまえたうえで、モノとしての本の魅力について語る、という趣向だったのだが、想像していた以上に面白く、充実した時間を過ごすことができた。


正直言って、このテーマについてはたくさん本も出ているし、何か明快な結論が出るような話題でもない。ただ、この講演会について言えば、講演者の原田先生はもとより、主催者側、出席者の方々も、世の中で出回っている議論よりも、少しだけ高級というか、深い、という印象を受けた。この「少しだけ」というところが重要で、あまり学問的になってしまうとそれはそれでわたしのような一般の人間にはついていけなくて退屈だっただろうと思うので、その案配がわたしにはちょうどよかった、ということか。とにかく原田先生がお話がうまくて(さすが、大学教授!)、膨大な知識の中からわかりやすい例を出し、時には著者に対して批判的なコメントも加え、1時間半まったく飽きることがなかった。


モノとしての書物の魅力として、図版やレイアウト・装幀の工夫や、書き込みや読書環境などの身体性などが指摘されていたけれども、わたしの現在の編集している本はまさに、同じテキストにどんな図版を入れてどんなふうにレイアウトをしてどんな順番に並べてどんな表紙をつけるか、ということで勝負が決まってしまう本だし、一般の書籍以上に書き込みの機会も多く、特殊な読書環境で読まれる本でもあるので、お話を聞きながら、「おー、それについてはいくらでも実例を出せますよ−」と思ってしまった。ここのところ毎日、自分がつくった「モノとしての書物」が、いかにすぐれているか、を大勢の人に語らなくてはいけなかったので、少し励まされたような気分になった。


一方で、そういった図版やレイアウト・装幀、身体性などについても、電子媒体である程度実現できるのではないか、という議論ももちろんある。この本の著者も原田先生も会場の人々も、そのことを十分理解したうえで、「書物」という「閉じた世界」の魅力を大切に思っているのだな、ということが伝わってきた。「グロリアクラブ」という団体をこのたびはじめて知ったのだが、会場の部屋の雰囲気や運営をされている出版社の方々がとても魅力的で、出版界をめぐる昨今の厳しい状況を考えると続けていくのはほんとうに大変だろうけれど、ぜひがんばって続けていただきたいなと思った。


関西出張中に村上春樹1Q84」の文庫本4巻まで読了。5月末に5巻6巻が出るので、それを持って九州出張に行って、読み終えたら感想を書くつもり。正直言って読み進めるのがだんだんつらくなってきている。水村美苗「母の遺産」は、スーツケースの底に入れっぱなしで結局読めなかったのだが、りつこさんのページを見たら、★5つで「素晴らしかった!」と書いてあったので、「おおっ!」と思ってあわててその先は読まないようにして、今日から(このブログを書き終えたら)読み始めることにした。


「グロリアクラブ例会」は出張の合間で奇跡的に時間がとれて出席することができてほんとうにラッキーだった。さらに6月1日(金)には、新宿の紀伊國屋書店で、「小説的思考のススメ」の著者の阿部公彦先生(この方も英文学者だ)と、翻訳家の岸本佐知子さんの対談が開かれる。予約不要の自由参加ということなので、出席するつもりでいる。
これ。↓
http://www.kinokuniya.co.jp/store/Shinjuku-South-Store/20120507101008.html
サイン会もあるそうなので、お二人の著書・訳書を買って(ほとんど購入済みなんだけど…)サインの列に並んじゃおう!