野崎さんのお話ほか

金曜の夜、東京に戻ってきました。
出張中、毎日更新するゾ、と思っていたのだけれど、
1日中出歩いて、初対面の人としゃべって(しかも、苦手な営業トーク)、
電車に乗って移動して、忘れないうちに出張報告書を書いて……とやっていたら、
とてもブログを書くパワーが出ず、滞ってしまった。
本を読む気も起きず、持っていったペーパーバックは、むなしく数ページ分、視線をさらしたのみ。情けない。


さて、出張前に行ったABCトークイベント「カフェ古典新訳文庫」の、野崎歓さんのお話。
タイトルは、「『世界文学』としてのフランス文学」ということで、
野崎さんが用意されたレジュメは資料2枚を含めて全部で6枚。かなり充実したものだった。
はじめに、19・20世紀のヨーロッパで、フランス語がいかに重要な役割を演じていたか、ということを、
トルストイ戦争と平和』、マン『魔の山』、ウルフ『灯台へ』などを例として挙げながら説明。
魔の山』の冒頭、フランス語で書かれている部分を野崎さんが音読したので、
おお、野崎さんがフランス語を話すとこんな感じなのね!と感動。
l'amour, folie, aventure, mal という、フランス文学の核となる語が、この『魔の山』の冒頭の一文に含まれている、と野崎さんは言う。


おフランスムードが高まったところで、野崎流「フランス文学史」とも言うべきトークがスタート。
ラブレー『ガルガンチュワ』から始まり、18世紀のシャトーブリアン、19世紀のスタンダール、ネルヴァル、フローベールランボー
20世紀のジャン・ルノワールセリーヌサン=テグジュペリ、亡命・移民文学としてサロート、ネミロフスキー、トロワイヤ、カミュ、デュラスという流れを、
すべて世界(異国)とのかかわりという切り口で紹介する、という試み。
「カフェ古典新訳文庫」なので、本好きの高校生でもついていけるような、わかりやすく、やさしく、
でも、わたしが知らない固有名詞もそこそこ出てきて、ああ、もっともっと本を読みたい、読まなければ、と思うようなトークショーだった。


野崎さんは、以前どこかのトークショーでも言っていたような気がするのだけれど、
フランス語の強みは、17世紀にアカデミー・フランセーズがフランス語の文法を整理したために、
17世紀以降、現代に至るまで、ほとんど文法が変化していない、ということだという。
つまり、大学の第二外国語で学んだ程度のフランス語力で、17世紀から現代に至るまでの文学作品が読めてしまう、というのだ。
うーむ。そうなのか。そういえばわたしは大学の語学の授業で、サガンの「悲しみよこんにちは」を読んで、おお、こんなのが読めてしまうのか、と感激した記憶がある。
当時は英語のペーパーバックを1冊読みきることができなかったし、授業ではシェイクスピアの戯曲やスモレットの小説をヒイヒイ言いながら読んでいたので、
流行作家の小説をたった1年半くらい勉強しただけで読めるなんて、ほんとうにスゴイと思ったものだ。
先生が音読するフランス語の発音がかっこよかった。


あ、また脱線してしまった。
レジュメの最後には、野崎さんが「群像」に載せたという「現代フランス小説ベスト10」というのがあった。
野崎さんが訳したもの、他の方が訳したもの、未訳のものなどがあり、
未訳のもののいくつかは、野崎さんが翻訳中(らしい)という情報も。
(こういうリストのようなものは、転載するのはよくないと思うので、これくらいにしておきます)


質疑応答で、現在のフランスでは、村上春樹をはじめ、かなり現代日本文学が受容されているように思うが、これは一過性のものだろうか、という質問が出た。
野崎さんは、「一過性のものではないと思う」と返事をしていた。
そして、水村美苗さんの『日本語が亡びるとき』について、「あの本は外国文学や翻訳にかかわる人間にとってはとてもつらい本です」と語ったうえで、
「でも、あの本は誤った認識のうえに立って書かれていると思います」と、野崎さんにはほんとうに珍しく、ネガティブなコメントをしていた。
そして、「フランスに限らず、世界中で、日本の新しい文学は広く受け入れられています。日本文学の未来は明るいと、ぼくは思っています。」
と話した。


ふー。やっぱり、1週間以上たってしまったので、だいぶ記憶がとんでるな。
野崎さんの顔を見ていたから、メモもあまりとっていなかったし……。
記憶違いや思い違いが、たぶんあると思いますが、どうぞおゆるしあれ。


仕事のことは、ここではあまり書かないことにしているのだけれど、
出張中に旅先で読んだブログ記事に、強く共感したので、
そのページの紹介をしておきたい。
http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20090624
http://d.hatena.ne.jp/tmrowing/20090625
http://blog.tatsuru.com/2009/06/27_1053.php


7月はじめに部内の小さい異動があり、
わたしはたぶん、担当する仕事が大きく変わる。
この3年ほどの間、時によって大小さまざまな「違和感」を抱きながら、担当の仕事をこなしてきた。
大きなプロジェクトだから、もちろんやりがいはあったし、楽しいこともいっぱいあったけれど、
やはりどう考えても、「異常」な働き方だったと思う。
とくに最後の半年は、労働時間もさることながら、仕事の進め方や人間関係についての精神的なダメージが大きく、
ほんとうにつらかった。
長めの休暇と1週間の出張を経て、今思うのは、
次のプロジェクトでは、断固として計画的に進めよう、ということだ。
やりたいことは次々にあふれるように出てくるのだけれど、
まあ、あまり欲張らず、無理をせず、一つずつこなしていこうと思う。