土屋政雄さん講演会

毎年6月のこの時期には、だいたい二週間くらい、営業に出る。
今年は地方への出張はなく、毎日朝早く自宅を出て、指定された町へ行き、
その地域を担当する営業の女性といっしょに、1日、車であちこちの営業先に行き、
刊行物の説明をする。
営業の仕事にあまり慣れていないこともあって、1日が終わるころにはかなりへとへと。
翌朝早いということもあり、ほとんど何もせずに布団にはいる、という生活が続く。


というわけで、なかなかブログの更新ができずにいる。
でも、あまりためてしまうと書けなくなってしまいそうなので、
先週末〜今日までに参加したイベントと読了した本について、
簡単に書いておこうと思う。


まず、先週土曜日に城西大学でおこなわれた、対談「翻訳の世界:カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』をめぐって」について。
翻訳家の土屋政雄さんが、初めて大勢の前でお話をするということで、会場の人たちもかなり興味津々、という様子だった。
「聞き手」の新井潤美さんは、ショートカットの似合う小柄でキュートな方で、「中央大学教授」という肩書きのイメージとはずいぶん違っていた。
低い声でズバズバッと本題に入っていく話し方はとてもかっこよくて、すっかりファンになってしまった。
今回は土屋さんがメインゲストということだったのであまり新井さんのお話を聞く時間はなかったけれども、
いつか機会があれば、ぜひ、新井さんの講演も聴いてみたいと思う。


それで、土屋さんのお話だけれど、
長年、技術翻訳(産業翻訳)で生計をたててきたというご経歴から、
文学作品を訳すときも、常にテクニカルライティングの基本を意識している、ということで、
かなり実際的な、翻訳の技術論に近いような内容だった。
「文学作品もコンピュータマニュアルも、翻訳をするときの基本的な姿勢は同じ」と土屋さんは言う。
わたしは何年も前に土屋さんのこの言葉をきいたのだが、その時は、ちょっと違和感があったように記憶している。
文芸翻訳の勉強をはじめて2年目くらいのころで、「技術翻訳の仕事をすると訳文が荒れる」とか、
「文芸作品には文芸作品の訳し方がある」というような言葉を、あちこちで読んだり耳にしたりしていたからだ。


先日の講演会でも、土屋さんはさらに続けて、
「文体なんてことについて、深く考えたことはない」とか、
「だいたいイギリスに行ったこともないんです、お金がなくて」とか、
とにかくもう、「英国小説の翻訳家」のイメージをことごとく覆すようなお話を、
次から次へと繰り出したのだった。


土屋政雄さんという人は、職人に徹したプロの翻訳家なのだ。
英文があり、それを日本文にする。
元の英文には書き手がいて、書き手が伝えようとしている内容を、自分というフィルターをとおして、読み手に的確に伝える。
その仕事の精度をあげるために、職人としてあらゆる手を打ち、試行錯誤を繰り返しながら、作品を世に送り出していく。
あらためて、この人はすごい翻訳家だと思った。


新井さんだけでなく、英米文学の学者さんの翻訳家のかたがた(柴田元幸さんとか、真野泰さんとか、青山南さんとか……)は、
皆、口々に土屋さんの翻訳を褒めている。
翻訳をめぐって、昔からよくあるような議論、たとえば、
「学者の翻訳は生硬で読みにくい」
「商業翻訳家の翻訳は不正確であざとい」
「技術翻訳者の翻訳は日本語としてこなれていない」
などというステレオタイプな見方を、この人たちははるかに超越している。
そこにあるのはごく当たり前の、シンプルな評価、「うまい人はうまい」ということなのだろう。



質疑応答の中で、ちょっとうれしかったことが一つ。
質問は講演であまり触れられなかった『わたしを離さないで』に関するものが多かったのだけれど、
その中で、「『わたしを離さないで』を訳していて、ここはうまくいったな、とか、
ここはお気に入りだな、とか思っている箇所はありますか」というのがあった。
土屋さんは例によって自信家なんだか謙虚なんだかわからない独特の口調で、
「全部うまくいったと思っているので、とくにここが、というのはないんですよ」と答えたあとで、
「ああ、でも、印象に残っている場面というのはあって、印象に残っているということは、きっとうまく訳せているということなんでしょうから、
今のご質問に答えるとしたら、その場面のことを言えばいいのかもしれません」
と言って、作品中のある場面の話をした。
で、その場面というのは、あまり書評などでもとりあげられていないし、
一般にはこの作品の「クライマックス」というわけではないと思うのだけれど、
わたし自身、この作品を読んだときに、なんだかやたらとその場面が印象に残って、
「この作品のわたしなりのクライマックスはここだな」と思った場面だったので、
土屋さんと気が合ったみたいで、うれしかった。


土屋政雄さんとは結構古い知り合いなので、なんだかうまく書けない。
講演が終わって、「講師の先生」として名刺を渡されたり、サインを求められたりしている土屋さんを見ていたら、
なんだか遠くに行ってしまったようで、ちょっと寂しくなった。


昨夜、みすずの「大人の本棚」に入った、宮田昇『新編 戦後翻訳風雲録』を読了。
今日、六本木のABCで行われた、野崎歓さんのミニトークショーに行ってきた。
いずれも翻訳にまつわる話なので、
土屋政雄宮田昇野崎歓と、三人のすごい人の話をセットで書こうと思ったのだけれど、
今日はもう、力尽きた。
続きは、明日以降に。