長崎でこの1週間をふりかえる

前回書いたように、先週はイベントの多い1週間だった。
火曜日に池澤夏樹池内紀対談@マーク紀伊國屋サザンシアター
前半は池内訳『ブリキの太鼓』について、後半は河出の世界文学全集の第1集・第2集完結と第3集の刊行について。
どちらもとても興味深く、行った甲斐があった。


ブリキの太鼓』の翻訳は、400字詰原稿用紙で1605枚。池内さんはすべて手書き原稿なのだそうだ。
これだけの大作になると、毎日少しずつ進まなければいけない。そこに翻訳のむずかしさとたのしさがある、と池内さんはいう。
おもしろかったのは、池内さんはこういう翻訳の作業を「石鹸に似ている」と話したことだ。
石鹸って、使い始めはなかなか減らなくて、あれ、減ってるのかなあ、と思うくらい。
でも、毎日毎日少しずつ使っていて、ふと気付くと半分くらいになっている。
あれあれと思っているうちに、小さくうすっぺらくなっていって、もうなくなるかなあーと思う。
ところが、そこからなくなるまでが、意外に時間がかかる。まだなくならないなあー。
で、それでもある日、なくなるときがくる。
長編の翻訳も同じ、というのだ。
うーん、わかる。レベルが全然違うことは承知のうえで、この進み方の実感はまったく同じ、と共感。
続けて池内さんは、翻訳というのは経済的にわりに合わない仕事だから、労働対価を求める人にはおすすめしません、という話を2回もした。
うう、この部分にも激しく同意。

グラスについて、『ブリキの太鼓』という作品そのものについての話も、とてもおもしろかった。
この作品を未読のわたしにとって、ネタばれにはならず、かなり重厚な作品だけれど読んでみたい、と思わせるような内容だった、という
ことなので、池内さんも池澤さんも講演の企画者も「うまい」ということだろう。
対談開演前の30分ほどの間に、会場で『ブリキの太鼓』の映画の最初の部分を流していて、
これもちょうど「続きを知りたい」と思うくらいのところで切られているので、企画としてうまいと思った。 


後半、池澤夏樹個人編集「世界文学全集」の話。
第1集、第2集の作品の選び方については、前に一度聞いたことのある話だったけれど、
実際にその全集をすべて購入し、何冊かを読了してからあらためて話を聞くと、
そうだなあ、と腑に落ちることが多い。
個人編集だからまず、池澤さん個人がおもしろいと思ったものでロングリストをつくり、それを削って削ってショートリストにしていった。
結果的に、20世紀後半という、人がいろいろな意味で移動する時代を反映したのか、
放浪する人々や辺境を舞台にした作品が多くなった、という。
池澤さんは、20代に読む5ページは、60代の50ページに匹敵する、という。
10代、20代の若い読者に、こういう世界文学の作品を手にとってほしい、という。
乱読でいい。つまらなかったら途中でやめてもいいから、まずはその世界に足を踏み入れてほしいのだ、という話は、
うーん、当たり前のことなんだけど、池澤さんの淡々とした話しぶりと声がよかったのか、じーんときた。


最後に第3集のはなし。
最初は24巻で完結するつもりだったのに、なぜ追加の6巻を企画したのか。
まず、短篇集をいれたかったということ。所収作品のすべてのタイトルはまだたぶん公になっていないけれど、
この短篇集2冊も、もちろん池澤さんらしい作品選択になっているのだろう。楽しみだ。
次に、20世紀のはじめの作品をいれたかった(コンラッド『ロード・ジム』。柴田元幸訳というところがニクイ)。
それから日本ではほとんど知られていない作家をいれたかった。
……などなど、話してはいたけれども、わたしはこの3集の企画の中心は、まず間違いなく、
世界文学としての日本文学、石牟礼道子苦海浄土』をいれた、ということだろうと思う。
以前、どこかの講演会で、なぜ日本文学は入っていないんだろう、ということが話題になった。
鼎談者がそれぞれ、いろいろな名前をあげた中で、池澤さんはそのとき、石牟礼のこの作品をあげていた。
そのときすでに第3集の話が具体化していたのかどうかはわからない。たぶん、まだ「できたらいいねー」くらいの話だったのではないか。
だとしたら、これを実現させた池澤さんも河出書房新社もすごいなーと思うし、
第1集第2集を全巻購入した読者としては、売り上げにちょっとは貢献したのだろうとうれしい気持ちにもなる。


石牟礼道子のビデオメッセージ、というのを見た。
画像があらく音もききとりにくく、石牟礼さんの言っていることが最初はよくわからない。
でも、一生懸命画面をみつめ、耳を澄ますうちに、石牟礼さんが繰り返す、
「美しい話をしましょう」という言葉が、耳から胸のほうにずずんと入ってきて、
最後に、「美しい話をしたいのです。重荷でしょうが、どうぞお読みください」と呼びかけられたときには、
泣きそうになってしまった。
会場もしーんとしずまりかえって、一瞬、その時間と空間が厳かな光につつまれたような感じがした。


帰宅すると世界文学全集の24巻を購入したbk1から第3集の予約申し込みのお知らせメールが届いていた。
今回のイベントでは、その場で『ブリキの太鼓』か『クーデター』を購入した人にのみサイン会の権利がある、ということだったので、
サインの列に並びそびれた。(さすがに高価なので、サイン用にもう一冊購入する、という気にはならなかったので…)
だからどうしようかなーと思ったりはしたが、いずれにしても、読めるかどうかは別として全巻購入するのは決まりだ。
長崎行きのスーツケースの底に、分厚い世界文学全集が2冊(『ブリキの太鼓』『灯台へ・サルガッソーの広い海』)がおさまった。


ほんとうは金曜日の土屋政雄ミニトークのことや、土曜日に「ラケットを持った赤鬼」に会ったことなども書くつもりだったのだけれど、
携帯用の小さいノートパソコンで書いているということもあり、ちょっと疲れてきた。
出久根達郎『作家の値段』を長崎へ向かう飛行機の中で読了。

作家の値段 (講談社文庫)

作家の値段 (講談社文庫)

これの感想も含め、明日以降にまわすことにしよう。
現在読書中なのは、光文社古典新訳文庫土屋政雄訳『ダロウェイ夫人』。
長崎の港の見えるカフェで、この海外文学の名作を名訳で読めることのありがたさよ。