吉田司『宮澤賢治殺人事件』

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読了。
この本は、不思議なルートで私の手元にやってきた。
もともとは大学で英語教育を教えていらしたエライ先生が、
大学を退官されるときに不要になった本をうちの同居人の職場に段ボールいっぱい送ってくださって、
ほとんど英語教育や英語に関する本だったに違いないのだけれど、
その中になぜか混ざりこんでいた本なのだそうだ。


宮澤賢治はど〜も好きになれない」
という書き出しから、「はいっ、同感!」と小さな声で言う。
なぜ小さな声で言うかというと、この本の著者が言うように、
宮澤賢治さんは、国語教育界では神様みたいになっているので、
うっかり上記のようなことを口にしたら、非難轟々、
「子どもの心を理解しない人」「想像力のない頭のカタイ人」というレッテルを貼られ、
教科書編集に携わる資格なし!と罵られかねないからだ。
(そうやって今の職場を追われたいような気持ちもちょびっとあるけど……)


この本は、センセーショナルなタイトルをつけているけれども、
実際はかなりしっかりとした調査・分析に基づいた宮澤賢治論であり、
著者の実母の証言や著者自身の幼少時の体験も書き込んだ「私ノンフィクション」でもある。


私自身について言えば、
かなり幼い頃、たしか小学校4年生くらいの頃から、「どうも、宮澤賢治は苦手だ……」と思い始めていたようだ。
その頃は子ども向けに書かれた「ロビンソン漂流記」や「若草物語」などを熱心に読んでいたのだけれど、
たまたま親が買ってくれたた「銀河鉄道の夜」を、「名作」らしいから好きになろうと思って、
何度も何度も読み返したのだけれど、どうしても面白いと思えず、
でも何となく、それを口にしてはいけないような気がして、
そっと胸の内に秘めていたような記憶がある。


だから、この本を読んで、かなりスカッとした。
私はもともと何かを批判したり、何かに反対したりする文章というのは好きじゃないので、ほとんど読まないのだけれども、
この本は「賢治=聖者伝説」を覆そうとしているだけで、宮澤賢治という人間や作品を否定しているわけでは決してないので、
そういう意味では「いや〜な感じ」をほとんどもたずに、最後までおもしろく読めた。
著者は、賢治は苦手だ、賢治は嫌いだ、賢治の悪口を書くぞお、などと言っているけれども、
結局は「ほんとうの宮澤賢治はちがうんだよー」「みんな、ほんとうの賢治を知って、愛してね」
というメッセージがこめられているような気がした。
賢治と自分自身の幼少期を重ねて描いているあたりは、ちょっとやりすぎという気もしないでもないけれども、
おそらくそれがこの著者の持ち味というか、スタイルなのだろうから、
ちょっと眉唾気味で、楽しく読めばそれでいいのかな、とも思う。


今は、先日西荻窪の古本屋さん「音羽館」で購入した、
加藤周一中村眞一郎福永武彦『1946・文学的考察』を読書中。
先週、仕事の関係で、現代文の教科書20冊くらいを飛ばし読みしたせいで、
上記の3人、とりわけ加藤周一さんなどは、なんだかもうすっかり知り合いのような気分(図々しい!)で、
つい勢いで最新刊の『日本文化の時間と空間』なんかも、柄にもなく買っちゃったりした。
で、『1946・文学的考察』だけれど、
これを古本屋で見つけて、手にとってぱらぱら読んで、おもしろそうだなあと思って同居人に聞いたら、
あきれたように「こんな有名な本、知らないの? マチネ・ポエティクだよ」と言われ、
さすがに「マチネ・ポエティクって何?」と聞く勇気はなくて、あわてて購入して読み始めた。
で、この本は冒頭に篠田一士さんの「解題」がついているのだけれども、
これが、ものすごくカッコイイ。1946年も、篠田さんが「解題」を書いた1976年も、
「文学」や「思想」が輝いていたんだなあとしみじみ思う。


さて、明日は私のもっとも尊敬する翻訳家のひとり、土屋政雄さんの講演会です。
http://www.josai.jp/lifelong/ex/foreign/07001.html

聞き手の新井潤美さんも、平凡社新書の『不機嫌なメアリー・ポピンズ』がかなり面白かったので、
この二人の対談ということで、ものすごく楽しみなのでした。