これから読む本

22日は沼野×亀山対談に行ってきた。
前回も思ったけれど、とにかくお二人のキャラクターが対照的なので、暴走するロマンチストの亀山先生を、理知的な沼野先生ががっちり受け止めてフォローアップする、という形で対談は終始した。最初、今日は沼野先生の本の記念対談だから、亀山先生が聞き手で沼野先生に質問する、とか言ってたのに、全然そうならなかったばかりか、肝心の本と直接的に関係する話は、ほとんど出なかったように思う。


とは言っても、つまらなかった、というわけではない。
そこは日本を代表する外国文学者の二人の対談なので、知識の広さ深さはハンパないのであって、個人的にはロシア語の「タスカー」(耳で聞いただけなので微妙に違うかも)という単語をめぐっての話が、翻訳の話からロシア文学や日本文学にも広がって、とても興味深かった。
沼野先生という方は、ご自分でもおっしゃっていたけれど、専門性を重んじるアカデミズムとはちょっと違った角度で世界文学のおもしろさをわたしたちに伝えてくれる、ほんとうに貴重な伝道師だと思った。
一方の亀山先生は、外語大学の学長さんまでつとめていらっしゃるけれども、どこか一文学青年のようなおもかげを残したまま、自分の情熱のおもむくままにひたむきに作家・作品に傾倒していくようなところがあって、こちらのタイプもまた、世界文学にとって貴重な存在なのだろう、と思う。


そう考えていくと、こういうタイプの傑出した文学者(の組み合わせ)が、ロシア文学界から出ているということはなかなか興味深い。アメリカ文学の柴田さんや若島さん、フランス文学の野崎さんなど、どなたのお話もおもしろくて、わたしは大好きなのだけれど、ロシアのお二人のぐいぐい押してくるような、「どうだ!」と有無を言わさない感じ(って、何言ってるかわからないね)は、独特だなあと思うのだ。


で、そんなことを考えながら、閉会後は、同居人の知り合いのフリーランスの編集者(翻訳家時代の憧れの編集者である)と、わたしの会社の後輩、同居人、わたしの4人で、新宿の飲み屋で飲食。世界文学やミステリ翻訳、装幀や印刷に関わる専門用語や固有名詞がとびかって、わたしはめちゃくちゃ楽しかった。会社の後輩の美人は翻訳ミステリなどは一切読まない人なので、固有名詞の半分ほども理解できなかったようだけれど、それでも楽しそうに笑っていた。わたしたちは今、会社のことでほんとうに苦しい思いをしていて、毎日怒ったり泣いたり、わたしと彼女は直接的に異動対象になっていないのだけれど、だからこそわたしたちが声をあげなくてはという気持ちも強くて、わたしたち自身がこの苦しさでつぶれないように、うまく気持ちをコントロールしていかなくちゃいけない、と思っていたところだった。沼野先生の本のタイトル「世界は文学でできている」と考えることが、どれだけ助けになるかわからないけれど、こんな狭い範囲のもめ事でつぶれてたまるか、という気持ちくらいは、わたしの場合は、生まれてくるのだった。


で、翌日、この数年間手がけてきた本800ページ分が校了
一緒に走り続けてくれたパートナーともいうべき著者に、思い入れたっぷりのお礼メールを送ったら、「もう、終わってしまったのかい、なんだか、つまらないなあ。」という返事がきた。てへ、という感じだ。
でも、ほっとしたのも束の間、一年前につくった本の営業活動が本格化するので、来週はいきなり関西方面への泊まりの出張が入った。後輩が担当している本800ページ分が2週間遅れで進行しているので、こちらのヘルプにも入らなくちゃいけないし、ぼんやりしている暇はないのだ。でも一応、お祝いね、と思って、コンビニでエクレアを買ってきてひとりでひっそりと食べた。おめでとう、がんばったね−。


今日土曜日は、会社の人事のことでしょぼくれてるわたしを見かねて、同居人が外出に誘ってくれた。やさしー。といっても、外出先は毎度おなじみ、吉祥寺のジュンク堂である。
ここのところ仕事が忙しくて、書店があいている時間帯になどとても活動できなかったので、ずいぶん久しぶりという感じ。文庫の棚、海外文学の棚、文芸批評の棚を中心にみてまわり、数時間後に同居人に遭遇したら、二人ともそれぞれに数冊ずつ本を手にしてにこにこしていた、という次第。


で、今日のタイトルの「これから読む本」。
まず、読みかけの沼野本。これは一刻も早く読み終えなくちゃいけない。
次に読むのは、半年以上前から刊行を楽しみにしていたこの本。

小説的思考のススメ: 「気になる部分」だらけの日本文学

小説的思考のススメ: 「気になる部分」だらけの日本文学

小説にかぎらず文学作品についての阿部先生のみごとな手さばきは、ほかの著書や書評ブログなどでよく知っているけれども、なにしろこの本は、すべて日本文学についての分析で、さらに驚くべきごとに、ここでとりあげている11作品のうち、9作品まではわたし自身既読で、さらにそのうちのいくつかは、わたし自身がめちゃくちゃ好きな作品なのだった。そういう意味では、実は自分の愛読書を、阿部先生がどんなふうにさばくのか、ちょっと怖いような、不安なような気持ちも、少しだけ、ある。
その次に読むのはこれ。
日はまた昇る〔新訳版〕 (ハヤカワepi文庫)

日はまた昇る〔新訳版〕 (ハヤカワepi文庫)

ヘミングウェイはちょっと苦手なんだけど、尊敬する翻訳者の手による新訳なので。
新訳といえば、今日、ジュンク堂で思わず買ってしまった少女小説の古典の新訳。
小公女 (ヴィレッジブックス)

小公女 (ヴィレッジブックス)

小学生の頃の愛読書のひとつが、文庫の新訳で出ていたので、つい衝動買い。
アニメのほうがおなじみという人も多いかもしれないが、わたしは小学生の頃、単行本で読んだ。ミンチン先生とか、ベッキーとか、名前を聞いただけで懐かしさがこみあげる。訳者の名前にも記憶があって、ああ、わたしが翻訳の世界を離れて、よくも悪くも組織の中で泣いたり笑ったりしてる間に、当時の仲間や後輩たちは、着々と翻訳の仕事の幅を広げ、力をつけているのだな、と感慨深かった。


そういえば先日、わたしにとっての「母校」ともいうべき翻訳学校が、今春、少し狭い教室に移転する、という連絡があった。もともとこの学校は、東京堂の裏のものすごくぼろいビル(階段が微妙に傾いていた)にあって、わたしの通学2年目くらいに現在の青木ビルという建物に移った。ごく短い期間だけれど、このオフィスで編集の仕事を手伝っていたこともあり、個人的にはかなり思い入れがあるのだ。この20年ほどの間に、ほんとうにいろんなことがあったなあ、とまたしても感慨にふけったりして、春という季節は、どうしてもセンチメンタルになってしまうのだった。