里帰りと英文学会

土曜日はうにをめあてに里帰り。
日曜日は野崎さんめあてに英文学会。
移動時間や朝晩は一人で過ごすことが多く、リフレッシュにもなったし、
これからのことをいろいろ考える、いい時間を持つことにもなった。


家族と最近読んだ本について話す。
我が家は驚くほど会話の多い家なのだけれど、話題の7割は食べ物の話で、
2割が旅行、残りの1割がその他、というくらいの割合。
その残りの1割の中で、比較的よく話題になるのが本の話なのだが、
皆、それぞれに好みもアプローチもまるで違うので、ほええ、となることが多い。


たとえば昨日は、母が「村上春樹の新作はどう?」と聞いてきた。
母は昨年はじめて『ノルウェイの森』を読み、すっかり心酔して、わたしに、
「次は何を読めばいいかしら?」と聞いてきたので、
「初期の作品や短編集を読んだら? 『海辺のカフカ』はいまいち」と言っておいた。
そうしたら早速、あれこれ読んだようで、『海辺のカフカ』も読んだらしく、
「うん、やっぱり、ママもいまいちだったわ。なんだかよくわからなかった」と素直な感想を述べていた。
で、早速、話題の新作を読むべきか、わたしの意見を求めてきた、というわけ。
「あー、だって、発売おとといだよ、まだ読んでないよ〜。
 でも、結構、おもしろいらしいよ、何しろ、5年ぶりの長編で、すでに40万部とかっていうし」
と言ったら、あまり小説を読まない、根っからの企業人の父が、
「あれは出版社の戦略がうまいらしいな。読みたい、買いたい、という気持ちを盛り上げて、満を持して刊行。
 商売はこうやらなくちゃなあ」と言ったうえで、「7年ぶりで、68万部だ」とわたしのあやふやな情報を訂正する。
そして、「村上春樹っていうのは、イスラエルですばらしいスピーチをしたんだぞ」と言いだし、
「卵と壁」スピーチについて、母に解説をしだした。
父の解説バージョンだと、「卵と壁」の話は、「要するに、常に弱者の側に立つ、ってことだ」という、すっきりした話になってしまって、
うーん、ちょっと違うんじゃないかな、と思ったりもするけれど、まあ、当たらずとも遠からず。
その話を聞いて母は、「へえ、そうなのお」と感心していた様子。
本好き、マイナー好み、趣味人の兄は、「新作の単行本わざわざ買おうとは思わないけど、文庫になったらやっぱり読んでみようかな、とか、
つい、思っちゃうよね」という。


両親も兄も、文学研究や文学教育とは何の関わりもない人たちで、いわゆる「一般読者」だ。
彼らと話していて感じるのは、「村上春樹を読む」ということが、「うにを食べる」とか、「カンボジアに旅行に行く」とかと、
まったく同じように語られている、ということだ。
根室産のうにを食べたい、カンボジアで遺跡を見たい、というのと同じように、おもしろい小説を読みたい、と思うのだ。
そして、「うにはやっぱりムラサキウニじゃなくてバフンウニだよ」とか、
アンコールワットは日の出のときが最高に美しいんだよ」とかいうのと同じように、
「『海辺のカフカ』はいまいち」だの、「村上春樹の政治的な姿勢は評価できる」だの、
まあ、それぞれに好き勝手なことをしゃべっている。
で、シロウト同士で語っているのだから、だれが正しいかという決着をつける必要もないわけで、
ふんふん、とそれぞれに聞きながら、それでも、一応、わたしは本に関わる仕事をしているものだから、
「で、mariはどう思うの?」と、新たな感想や情報を求めてきたりもする。


どなたかがブログで書いていらしたが、
「文学が売れない」この時代に、村上春樹のそれも上下2巻の大作が68万部も売れるというのは、
とりあえず、すばらしいことなんじゃないか。
そして村上春樹に限らず、古今東西の文学作品やすぐれた書物が、
グルメと旅行が大好きな老夫婦に、いくらかの知的な喜びを与えるというのは、
すばらしいことなんじゃないか。


と考えたところで、今日の英文学会シンポジウム。
タイトルは、「このままでいいのか語学文学研究−−リベラル・アーツの危機と英文学会」。
今、文学研究のまっただ中にある学生さんや院生さんには、あまりぴんとこなかったかもしれないけれど、
わたしには「待ってました」というようなテーマで、
この数年やってきた仕事の意味や、これからやろうとしている仕事の展望などに、
ずいぶんいろいろな示唆をあたえてくれた。
(野崎さんの顔がみた〜い! というミーハーな動機で出かけたのに、大収穫でした!
 あ、でも、すごく前のほうの席に座ったので、野崎さんのお顔はばっちり見られましたよ〜。ぬかりはないのです。)


若島先生は、英語・英文学を教える・学ぶということについての書籍を10点、紹介しながら、
教育に現代性と実用性が求められているいま、文学教育はどうあるべきか、どこへ向かっていけばいいのか、という話をした。
このブックリストは秀逸でとても参考になる。
10冊の中に、『テヘランでロリータを読む』が入っていて、
先生は「批判も多い本だけれども、文学に人間を、社会を、動かす力が残っているのだと、妙に感動的になってしまう、示唆に富んだ本です」と
紹介していてうれしかった。
また、他分野の本の例として、桃木至朗『わかる歴史 面白い歴史 役に立つ歴史』という本を紹介していて、
おお、これは早速、読んでみようかなと思った。

わかる歴史 面白い歴史 役に立つ歴史 (阪大リーブル013)

わかる歴史 面白い歴史 役に立つ歴史 (阪大リーブル013)


川本先生は、シンポジウムのタイトルを英訳するとTo be or not to be とかいう洒脱なお話をしたあとで、
語学文学研究が現在かかえているもっとも深刻な課題は「教育」だとしたうえで、
「英語教育」と「文学教育」はそれぞれ別個の問題をはらんでいるので、
いっしょくたに考えないほうがいい、という話をしていた。
「文学教育」の問題は、わたしの常日頃からの関心事でもあり、
有名な話なのかもしれないけれど、「飢えた子どもに対して文学は何ができるか」というサルトルの問いに対して、
リカルドが「アフリカで子どもが飢えるということは人類共通のスキャンダルだという認識を与え、広めることに、
文学は貢献している」と反論した、という話に、わたしは素直に感動した。
(あわててメモをとったので内容不正確。ネットで調べたけど、あまり情報がなかったので、不正確なママ。)


そして野崎さん。この人はほんとうに、古典的な文学青年なのだなあ、とあらためて思う。
さらりと楽しそうに話してはいるけれど、文学の衰退を目の当たりにしながら、
自分に何ができるのか、ずっと考えて、行動してきているのだなあ、と思う。
日本におけるフランス文学研究は、今や本家ソルボンヌ大学の国文科の出張所(?)みたいになっている、という話はとても興味深かった。
むろんそのことはマイナス面ばかりではないとは思うけれど、
わたしはやはり、そういうことが、一般読者を文学から遠ざけているのではないか、と思ってしまう。
「高度に専門化した」文学研究も、もちろん必要なのだろう。
でも、そこに至る一握りの人たちのためだけに、文学研究は存在するのではないはずで、いわんや文学教育をや、だ。


そこでまた文学教育に話は戻ってしまうのだけれど、
司会の横山先生は、「言葉の教育は生きる力をつける」ということを力説していた。
こういう話はわたしは耳にたこができるほど聞いているので、
正直、「それで?」という気分で聞いていたのだけれど(若島先生には軽く皮肉られていたし)、
シンポジウムの一番最後に野崎さんが、ぼそっと言った、
「言葉を深く学んだ経験は、社会で通用すると思うんですけどね……」というのは、
同じようなことを言っているのだろうけれど、深く共感してしまったのだった。


いやあ、それにしても、すごいメンバーのシンポジウムだった。
若島、川本、野崎の3氏が、それぞれに自分の立場や視点を明確に持っているし、
話はうまいし、バランス感覚は抜群だし。
英文、仏文だけでなく、その他の各国文学や、日本文学の研究者もいっしょに、
何かできないだろうか。できたらいいなあ。


……わたしのブログの読者の中には、海外や地方在住で、こういうシンポジウムなどに、
参加したくてもできない、という方が複数いらっしゃるようなので、
ちょっと一生懸命、シンポジウムのレポートをしてみました。
でも、いつものように、これはあくまでわたしの私感が入りまくりの、不正確なレポートなので、
どうぞそのつもりで読んでください。
また、里帰りの話と英文学会の話は、わたしの中ではすごく重なっているのだけれど、
個人的なことと公のことをいっしょくたにしてしまうのも、わたしのいつものスタイルなので、
不謹慎に感じられるかもしれませんが、おゆるしあれ。



さて、里帰りをするときの湘南新宿ライン用読み物として、雑誌を2冊購入。
國文學 臨時増刊号 小説はどこへ行くのか2009」
「国文学解釈と鑑賞 特集宮沢賢治を読み直す」
前者は新進作家の書き下ろし小説を載せたりして野心的だが、
うーん、個々の作品の出来はいまいちかな。いや、好みの問題かもしれないが。
対談と鼎談は、悲しいことに何度読み返しても頭に入ってこなかった。
もともと、対談記事はあまり得意ではないので。
結局のところ、一番よかったというか、好みにあっていたのは、
あまり新味はないけれども、青木淳悟青山七恵長嶋有大江健三郎の、作品論だった。
後者は月刊の「國文學」が休刊になるということで、定期購読雑誌の候補として、とりあえず買ってみたのだけれど、
うーん……定期購読は、とりあえず、保留、かな。


そういえば、「英語青年」「國文學」に続いて、なんと「大航海」も休刊になるというのを、今日知った。
エスクワイア日本版」も、今月発売の号で休刊。
わたしはこの雑誌で翻訳の連載をしていたことがあるので、これもかなりショックだった。
(「エスクワイア日本版」は、復刊を求めるサイトができて、署名活動もしているらしいけど)
一方で、村上春樹へのインタビューを載せた「モンキービジネス」最新号は、今日の朝日に大きく広告をうって、
「やった!増刷!」と書いている。
今、この国の文学界で元気なのは、村上春樹まわりだけ、なのかなあ。