オザケンを聴きながら

実を言うとわたしは小沢健二のファンだ。
タレントや歌手、俳優などのファンになることは、めったにないのだけれど、
オザケンは特別。
時々、思い出したようにipodオザケンを聴く。そのたびに、泣きそうになる。
ほんとうに泣いてしまうこともある。
不思議なことに、はじめて聴いたときに比べて、この切ないような胸がつまるような気持ちは、色褪せたりしない。
何度聴いても、オザケンオザケン
あのはにかんだような笑顔で、あの特徴のある声で、過ぎ去った若い日々をうたって、わたしを揺さぶるのだ。


15年くらい前だったか、オザケンが紅白に出場したとき、わたしが、
「あ、わたしこの人好きなの」と言ったら、実家の父が、
「おまえはこんななよなよしたのが好きなのか……」と残念そうに言ったのを思い出す。
「なよなよなんかしてない!」と、結構むきになって反論した記憶がある。
尊敬する父と価値観がずれている、と、いい年をして初めて感じた瞬間だった。


なんかどうでもいいようなことを書いてるな……
文学のことや教育のことを考えていると、どんどん気持ちが追い込まれる感じになって、行き詰ってしまうのだ。
自分の考えていることや大切に思っていることは、あまりに時代に逆行しているような気がして、
社会的にはまったくダメなんじゃないか、と思ったりする。
いつ頃からこんなふうになったのか。
子ども時代は間違いなく、要領のいい、しっかり者の少女だった。
20代の前半くらいまでは、妹から「おねえちゃんはいつだって『王道』をいっている」と言われていた。
それなのに、なぜ……。
と考えてみるに、オザケンを好きになった、15年くらい前から少しずつ、「売れない病」にかかったようだ。
いや、もう少し前、24歳のときにアルバイトで入った会社で、やたらと本を読んでいるけどどこか鬱屈した感じの先輩編集者に会ったときから、
「売れない病」の感染は始まったのかもしれない。


やたらと感傷的な気分になっているのはたぶん、
今夜観た相米慎二の映画「ションベン・ライダー」のせい。
なんだかわけがわからなくて、いい映画だった、って言っていいのか迷っちゃうんだけど、
でも、ひとことで言うと、監督は「売れよう」なんてまったく思っていなくて、
こういうシーンが撮りたいと思っただけです、って感じがびしびし伝わってくる映画だった。
きっとずっと忘れないだろうなあ、こういう映画は。
「売れない病」の感染元は、「ああいうふうにつくったっていいんだよな」とか言いながら、眠ってしまった。
わたしは「なよなよしたの」第2弾、徳永英明を聴きながら、「売れない病」がますます体全体に広がっていく感じを味わっている。
まあ、それも悪くないか。