めずらしく、おカネの話題

仕事上で相談したいことがあり、ひさしぶりに翻訳家の友人と電話で話をした。
相談の内容というのが、おカネ(印税)に関係することだったので、
これまでにお互いにやってきた翻訳の仕事の印税率や支払い方式、支払い時期などについてあれこれと話し、盛り上がった。


「印税」仕事というのは、基本的に「時給」仕事とはまったく違った発想で成り立っている。
そして、たぶん他の業界の方はびっくりすると思うのだが、
多くの場合、最初の「執筆依頼」(翻訳依頼)の段階で、具体的な印税額はもちろん、印税率や支払い方式、支払い時期について、
説明されるということはない。
出版社は別に「ずる」をして説明しないというわけではなくて、
単行本を刊行しようというとき、「執筆(翻訳)前」の段階では、その本をどれくらいの部数刷り、いくらの定価をつけ、いつ出版するのか、
ということが、きちっと決まっているなどということは、まず、ない。
人気シリーズの3作目で、1、2作目の実績がはっきり出ており、同じ翻訳者で、その訳者の実力も、締切を守るかどうかもよくわかっている、
という場合は、まあ、別かもしれない。
でも、そういう特殊な場合をのぞくと、たいていの企画は、刊行直前に部数と定価、刊行日が決まり、それからあわてて契約書の締結、となるわけだ。
少なくともわたしは、刊行前に契約書を交わしたことは一度もない。
そしてたいていは、この契約書を見てはじめて、印税率や支払い方式、支払い時期を知った。
(一社だけ、最初の依頼のときに、部数と定価と印税率を口頭で話してくれた社があった)


つまり、著者(翻訳者)は、自分が今やっている仕事がいったいいくらになるのか、まったく見当もつかぬまま、
3ヶ月とか半年とか、へたすると1年、2年、と時間を費やすわけである。
さきほど翻訳家の友人とも話したのだけれど、たくさん時間とエネルギーを費やしたからといって印税をたっぷりもらえるというわけではもちろんなく、
「時給で換算したら100円とかになっちゃうかも〜」というのが、冗談ではなく現実の世界なのだ。
それでも「印税」の仕事をするというのは、結局、出版社と著者と、喜びも苦しみも分かち合いましょう、ということなのだと思っている。
たとえば翻訳の場合、出版社は数多いる翻訳者の中から、「私」を選んで依頼してきてくれたのだ。
期待にこたえてすぐれた翻訳を、出版社の希望どおりの期日に納品しよう、と精一杯努力する。
でも、たとえば「ちょっと文章がかたすぎますね」「全部やり直してください」なあんてことになる場合だってあるだろう。
そしてその結果、当初の編集者の思惑どおりに刊行ができず、出版が1年後になる、なあんてこともあるはずだ。
ひどい場合は、すべて出版社の希望どおりに進めて、訳稿は完成しているのに、
社会情勢の変化などの理由で、企画じたいがボツになる、ってことだってある。
(こういう「出版取りやめ」の悲劇は、実は経験していない翻訳者のほうが少ないんじゃないか、とひそかに思っている……)
翻訳者の側の事情、出版社の側の事情、何が起こるかわからない。だからリスクはいたみわけしましょう、というのが基本にある。
その一方で、書き手の多くは常に、進行中の作品について儚い夢を抱いており、
「もしかしたらこれが、ばあーんと売れて、ベストセラーになるかもしれない」と、かすかな希望をつないでいる。
翻訳に2年をかけた作品の最初の印税支払いが、たとえば1000円×5000部×8%で40万円だったとしても、
これがベストセラーになって、5万部なら400万、50万部なら4000万……。
2年もかけて必死に取り組んでいる作品ならなおさら、「これはものすごい名作なんじゃないか」と思いこみがちだし、
まあ、そうでも思わなきゃ、やってらんない、ってこともある。


そして書き手にとってはさらにつらいことに、
最近の傾向として、印税の支払い方式が、発行印税から売上印税に移行しつつある、ということがある。
「売上印税」というのは、著者(翻訳者)の思い入れがどんなに強かろうと、翻訳にどれだけの歳月を費やそうと、
印税は売れた分だけしか払いません、という方式で、これはずいぶん、出版社の側に都合がいい話じゃないか、と思う。
さきほどの例でいうと、たとえば残念ながらこの企画は大はずれで、半年経過した時点で1000部しか売れませんでした、という場合は、
半年後に8万円が振り込まれるのみ、ということになる。ああ、これがわたしの2年分の努力の成果なの??と嘆きたくもなるが、
この企画がはずれたことの責任は、自分にももちろんあるわけだから、しょんぼりと8万円を受け取って、次の仕事へと向かっていく。
で、出版社によっては、これじゃああんまりだ、著者や翻訳者だって、生活があるわけだし、ということで、
実売が1000部なんだから40万円満額を支払うのは無理だけれど、
半分の20万円くらいは、支払いを保証しますよ、というところもあるようだ。


いろんな人の話を聞いてみておもしろいなあと思ったのは、
必ずしも大手の出版社が払いっぷりがいい、というわけではない、ということだ。
印税率にしても、人によって(書き手のランクによって)変えているところもあれば、一律のところもあるみたいだし、
交渉しだいで印税率がアップ!なんてこともあるようだ。
おカネの話って微妙なので、書き手どうし、あるいは出版社どうしで、情報交換というのをほとんどしないから、
よく言えば臨機応変、ありていに言えばテキトー、というわけだ。


ちなみに執筆(翻訳)料の支払いは「印税」方式のほかに「買取」というのもある。
これはかなり「時給」仕事に近い感覚だとわたしは思っている。
最初から仕事量と金額が提示されるので、書き手の側としては、「割りに合わないな」と思ったらことわればよい。
もちろん、「割りに合わないけどおもしろそうだから」「割りに合わないけどほかに仕事がないから」など、さまざまな理由で引き受けることもある。
ただ、基本的にはこれからやる仕事に対してあまり大きな夢を抱かず、
期日内に、依頼者の希望どおりの原稿をしあげる、ということに重きをおく。
(これはもちろん、「買取」だから手を抜く、ということではない。
ただ、「買取」の仕事というのは多くの場合、締切の規定が厳しく、依頼者から文字数や語彙の制限を出されたりするので、
依頼者のニーズを最優先する、ということだ。)
そしてこれをきちんと守れば、出版社の側もきちんと、納品してから3ヶ月くらいのうちに、
最初に提示した金額(から税金やら振り込み手数料やらの雑費を引いたもの)を、振り込んでくれる。
これはあらかじめ「計算できる収入」なので、食費とか家賃とかは、この「買取」の収入をあてにする、ということになる。
……そういえば以前、明日の食費に困るくらい収入がなかったとき、10万程度の買取の原稿料が半年以上待っても支払われなかったことがあった。
わたしはどうしてもその10万が欲しくて、月に1回、その出版社に催促の電話をかけた。
最初は担当編集者、次に経理の担当者、3ヶ月目はとうとう社長さんと話をして、やっと支払ってもらえた。
編集者も経理の人も社長さんも、とてもいい人で、対応も丁寧で、わたしは10万程度のことで、と恥ずかしかったけれど、でも、そのころはどうしても必要だった。
それからまもなく、その出版社は解散した。……


翻訳仲間と話していると、たくさんの「涙、涙の物語」が出てくる。
いま、出版社の側の人間として、できることは何だろう、と考える。
もともと「売れなくてもいいや」なんて思って仕事をするはずもないのだから、
「売れる本をつくるようにがんばりましょう!」なんて言っても意味がない。
印税率や出版部数、定価など、なるべく早い段階で提示し、契約書を交わすようにできないものだろうか。
たとえば企画・依頼の段階で「仮契約書」をかわし、印税率や印税方式、部数、定価、納品時期などを記しておくとか。


……と、ここまでの「おカネ」の話題は、多くの部分をわたしの翻訳家時代の経験をもとに書いているので、
情報はとても古い(10年くらい前のもの)です。
今はもっと改善されているかもしれませんが、とりあえず(あまり調査もせず)思ったことをばばっと書きました。
サラリーマンになってから、収入について思い悩む機会も減ったので、
ほんとうにひさしぶりに、フリーランスの頃の切実さを思い出しました。

明日あさってと京都に出張。
時間を見つけて、あちこちのブログで評判の古本屋さんに行ってみたいな……。