祝・金婚式

今日はわたしの両親の結婚50周年、金婚式のお祝いの会があった。
父が現役時代から特別に気に入っていた銀座のお店で、
めったに食べられないような美味しいお料理をいただいた。
母はこの金婚式で(なんと全部で3回もお祝いの会を開いたのだが)、
着物を着おさめる、と言って、50年前、龍村平蔵さんからじきじきにいただいたという帯を、
びしっと締めてきていた。
紫の地模様の着物に龍村の帯で、美容院で着付けてもらったそうだけれど、
うーん、我が母ながら、カッコイイ。
わたしもがんばって、去年購入した中町明さんのグレー格子の小紋と薔薇の帯を自分で着付けていったんだけど、
いやあ、やっぱり着物は、着ている人の貫禄というか、人生の重みみたいなのが、ばーんと出ちゃうんだよね。


50年前、母がお嫁に行くときに、龍村さんがお祝いにくださったという帯だから、
今日の金婚式を最後に、わたしにくれるのだという。
でも、今のわたしでは、まだまだ、この帯を着こなせないなあ、という気がした。
修行が足りん……です。


子どもたちから両親に、何か贈り物をしようということになり、
兄と妹のだんなさんの提案で、デジタルフォトフレーム、というのを購入。
あらかじめ、懐かしい写真を厳選して入れておこう、ということになって、
子どもの頃からのアルバムをひっくり返してみた。
小さい頃の家族写真は、妹とのツーショット写真がとても多くて、
それから20代半ばに妹といっしょに行ったヨーロッパ旅行の写真とかも出てきちゃって、
写真の中の妹や自分が楽しそうに笑っていればいるほど、
妹はもういないんだ、と思って、涙がぼろぼろ出てきてしまった。


そういえば、妹の子どもはずいぶん大きくなった。もう3年生だ。
妹のだんなのしつけがいいのか、とてもしっかりしていて、礼儀正しくて、いい子だ。
今日は、焼き松茸が出たのだけれど、
だれかが「死んだお母さんは松茸が好きだった」という話をしたら、
「じゃあ、うちに持って帰ってお母さんにあげよう」と、泣かせることを言うのだ。
今日はお祝いの会だから、しんみりしてはいけないのだけれど、
家族がそろうとやっぱり、妹のことを思い出さずにはいられないし、
両親もまた同じ気持ちだっただろう。
50年の結婚生活の中で、三人の子どもを無事に育てたということは、
両親にとってもっとも誇らしいことだろうし(この際、出来不出来は関係ない)、
その中の一人が30代の若さで逝ってしまったということは、
もっともつらく哀しいことだったはずだ。
父は仕事面ではまあ順調だったけれど、30代半ばの慢性膵炎を皮切りに、
生死をさまようような大病を何度もして、
母は大変だったと思う。
それでもわたしは両親がけんかしているところを一度もみたことがないし、
父が母の、母が父の悪口を(本気で)言うのを、一度も聞いたことがない。
まれにみるほど、仲の良い夫婦なのだろう。ありがたいことだ。


読書中の本は、相変わらず『デイヴィッド・コパーフィールド』の第1巻。
明日はとくに予定のない休日なので、
のんびり読書でもするかな。風邪気味だし。