答えられないのは、自分のせいではないのかもしれない
「実録・連合赤軍」を観てきた。
すぐには感想が書けなかったうえに、ブログでほかの方の映画評などを読んでしまったら、
とても自分の浅薄な感想文など書く気になれなかった。
ので、とりあえず、自分にとって印象に残ったところについてのみ書く。
(ちなみに、わたしはなぜか昔から連合赤軍の話に興味があり、映画は「光の雨」「突入せよ」ともに観たし、
坂口弘の『あさま山荘1972』もだいぶ前に読んだ。)
作品中、「総括」「自己批判」を求められたメンバーたちは、
必死になって、幹部である森や永田に納得してもらえる「総括」をしようとする。
いちばんの禁句は、「総括ってそもそも何ですか?」で、
「それは自分で考えろ」とのこと。
もちろん、幹部たちだってこの問いに対する答えをもっているわけではない。
ただ、他のメンバーの総括が、「だめ」であることだけは、わかる。
「総括します。わたしは……」と話し始めたことばを、
「ちがう! 全然わかってない!」とさえぎる。
そして、凄絶なリンチがはじまる。
この事件の中でもっとも悲惨だと思うのは、
リンチを受けているメンバーたちは、悪いのは自分だと思っているということだ。
「森さんの言っていることばがわからないの」と打ち明けるとき、
彼女の頭に、「もしかしたら森が悪いのでは?」ということはよぎらない。
ちゃんと総括できない自分はだめだ、ゼロから革命戦士として出直さなくては、と、
本気で思っている。
「答えられないのは、自分のせいではないのかもしれない」
どうしてそんな簡単なことに、思い至らなかったのか。
暴力を受けている間も、もしかしたら命の尽きる間際まで、
「総括」について考え続け、幹部の納得する答えをさがし続けていただろうということが、
何にもまして悲しい。
「正しい答えなんてない」「おしつけるつもりはない」と言いながら、
想定しているある種の答え以外はまったく受けつけないというのが、いちばんたちが悪い。
○○とは何か。あなたにとって○○とは。
このような問いに対して、じょうずに答えられないと思ったとき、
少しだけ力をぬいてみようと思う。
じょうずに答えられないわたしが悪いのではなく、
そんな質問をしてくる相手が悪いのかもしれないと、
ちょっとだけ考えてみてもいい。
(かといって、何でもかんでも、責任転嫁するのはどうかと思うけれども。)
昨日から、『コンゴ・ジャーニー』を読み始めた。
上下巻のすごい大作。帯で激賞しているメンバーがすごくて、
カズオ・イシグロ、池澤夏樹、養老孟司、いしいしんじ。うーん、いい趣味だ。
ちなみにこの本の翻訳者である土屋政雄さんは、古い知人だ。
わたしの知っている土屋さんは、まさに上に書いたような質問の対極にあるような人。
たとえば、もし土屋さんに、「あなたにとって翻訳とは何ですか」と問いかけたら、
何と答えるだろうかと考えただけで、なんだかくすくす笑ってしまう。
きっと、その質問に対して怒ることもせず、
ただにこにこしながら、わたしには想像もつかないような、即物的で、無機的で、
質問者ががくっとくるような、そっけない返事をするにちがいない。
(ああ、わたしにそのような洒脱な知性が備わっていれば!
やっぱりここはひとつ、「バートルビー作戦」でいくしかないか……)
それから昨日、吉祥寺エキナカの書店をうろうろして、
今まで買ったことのない「國文學」という雑誌を買ってみた。
特集が「翻訳を越えて」というのだったから。
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