『エマ』を読み終え古書市へ

昨夜、というより朝方、オースティン『エマ』読了。

エマ (上) (ちくま文庫)

エマ (上) (ちくま文庫)

エマ (下) (ちくま文庫)

エマ (下) (ちくま文庫)

この魅力的な女主人公が、最後にだれと結ばれるのかは、
まあ、普通の推察力がある読者なら、かなり早い時期に予想できるはずだ。
同時進行するそのほかの恋愛ドラマも、読者にとって「意外な展開」というのはまずなくて、
作者は最初から、読者が展開と結末を予想しやすいように、あちこちにはっきりとわかる「タネ」をしかけている。
だからこの小説には、いわゆる「ドキドキハラハラ」はないし、
19世紀のイギリスが舞台だから登場人物の言動への「共感度」もさほど高いわけではない。
にもかかわらず、こんなにも夢中になって読んでしまったのはなぜだろう。


『エマ』を読んでいるときの、わたしの基本的な表情は、「薄笑い」だったように思う。
どこかでケタケタと声をあげて笑うわけでもないし、
眉間にしわを寄せて読むわけでもない。
「まったくねえ、こんなこと、普通言わないでしょ〜」と思いながら、
「……でもまあ、よくこんなくだらないことを延々としゃべらせたもんだわ」と思い、
やがて、「たしかに女ってのはこういういやらしいとこあるよね〜」
「このジェイン・オースティンて作家は、どうしてこう、いじわるなんでしょう」
と、結局は作者の思う壺にはまって、薄笑いを浮かべたまま、上下巻750ページを一気読みすることになった。


高慢と偏見』と同様、『エマ』にも、ものすごく漫画チックな名脇役が何人も登場する。
『エマ』でわたしが好きなのは、エマの父親のウッドハウス氏、オールドミスのミス・ベイツ、それに、勘違い女のエルトン夫人。
それぞれの性格のいびつな部分が、滑稽なくらいデフォルメされて、
作者がほくそ笑んでいるのが目に浮かぶくらい、これでもか、これでもか、と繰り返し描写される。
これが、普通だったらいやになるくらい過剰なのに、なぜかオースティンの場合は、いやにならないのだ。
むしろ、彼らが登場するのを心待ちにして、しまいにはそのいびつな性格を含めて、彼らのことが大好きになってしまう。
ほんと、エルトン夫人なんて、絶対最悪の女なんだけど。
近くにいたら、ものすごくいやなんですけど。
でも、いそうなんですけど。


一箇所だけ、引用してみよう。
もし、ミス・ベイツの姪で私生児のジェインと、エマの親戚で身分の高いナイトリー氏と結婚することになったら、という仮定に対して、
エマが意見を述べている場面。


  「ジェインにとっては良い結婚だけど、ナイトリーさんにとっては悪い結婚だわ。身分違いの恥ずべき結婚よ。
   ミス・ベイツが親戚になるなんて耐えられる? 
   しょっちゅう屋敷にやってきて、『ジェインと結婚してくださったご親切は一生忘れません』なんて、一日じゅう感謝の言葉を述べるのよ。
   『ほんとうにやさしくて親切なお方です。でもあなたさまは、昔から私どもに親切にしてくださいました』
   そして突然話が飛んで、母親の古いペチコートの話になるの。『でも、母のペチコートはそんなに古くはございません。
   まだまだ長持ちいたします。うちのペチコートはみんな丈夫で、ほんとに感謝しております』」(上・348〜9ページ)


この、「ペチコート」のたとえ話の、いじわるなことといったら!!
ネタとしてはとても女性的なんだけど、このユーモア感覚はむしろ男性的、という気がする。
頭の切れる男の人と話していると、時々この手の、いじわるなユーモア感覚と遭遇することがあって、
自分がネタにされていないときは、くすくすと(あるいはにやりと)笑ってしまうのだけれど、
後になって自分もどこかで同じように、ネタにされてるんだろうなあ〜と思ったら、
ちぇっ、という感じになったりもするのだった。
(でも、頭の切れる男の人と話すのは楽しい……頭の切れる女の人と話すのは、ちょっと疲れる)


さて、やや寝不足気味ではあったけれど、予定通り午前中のうちに古書市へ。
鞄の中には岩波文庫の『フランク・オコナー短篇集』をいれた。
四番目の短篇まで読んだけれど、いやあ、ものすごくおもしろい。
これは、『エマ』とはまた違ったおもしろさで、
ひとことで言うと、短篇らしい、短篇ならではの魅力、というところか。
(わたしはどちらかというと長い小説が好きで、短編集はちょっと苦手なのだけれど、
 この短篇集は例外みたいだ。)


古書市はフリー・マーケットのような雰囲気で、予想以上ににぎわっていた。
お天気もよかったし、みんな、なんとなく楽しそうで、はしゃいでいる感じで、
それはそれでとっても幸せだったのだけれど、
自分の居場所じゃないなあ、というような気がして、結局本は一冊も買わなかった。
古本といっしょに、雑貨やCDなんかも売っていて、
売り手と買い手がおしゃべりしながら品物が手渡されていく。
そのことを否定するわけじゃないんだけど、いや、むしろいいことだと思うんだけど、
なんかうまくいえないけど、わたしは苦手みたいだ。
「年、とったのかな…」とちょっぴりしんみりした気持ちで通りに出て、
古書市でもらった「ブックストリート・マップ」を手に、
谷根千の町をぶらぶら歩き始めた。


千駄木駅根津駅の中間くらいのところに、往来堂書店、という新刊書店がある。
上の古書市の「後援」にもなっている、地域の有名書店らしいが、
これが、すばらしかった。
「本好きの、本好きによる、本好きのための本屋」とチラシにあるとおり、
こちらの心をくすぐる絶妙の選書なのだ。
そんなに広いわけではないので、並べている冊数だってたかが知れている。
でも、少なくともわたしが「読みたい」と思うような本は、
「はい、用意してますよ」という感じで、
でも、「どう、目利きでしょ?」みたいないやらしさはなくて、ごく自然な、町の本屋さんふうで、
いやあ、こんな本屋が自分の家の近くにあったらどんなにいいかなあ。
毎日のぞいて、週末には1、2時間滞在する、というようなおつきあいができたら幸せだろうなあ。
……などと思いつつ、結局、本は一冊も買わずに(ごめんなさい…)店を出た。
鞄の中の本がおもしろいと、どうも本を買う意欲が半減するのだ。


昼食は、豆腐room Dy's というこじゃれたカフェで、「豆腐の月見どんぶり」(←ちょっとうろ覚え)ランチを。
豆腐やおから茶もさることながら、メインのどんぶり料理の味付けが絶妙!
お店の雰囲気もこじんまりしていてくつろげるし、お店の人も感じがいいし、
てきとーにふらっと入ったのに、なかなかいいお店に入った、とにんまり。


さらにぶらぶら歩きを続け、雑貨屋さんなどをのぞきながら千駄木駅に戻り、
4時に予約していた新宿の美容院「スタジオV」へ。
はにかんだ笑顔がすてきなスタイリストのお兄さん(といっても10コ以上年下!)にカットしてもらい、
すっかりご機嫌で帰宅。
今日は8時前に夕食も食べたし、お昼は豆腐料理だし、
なんといっても、2時間くらい外を歩き回ったわけだし、これは体重の減少が期待できそう。るん。