書写人バートルビー

昨日買った「モンキービジネス」、あちこち拾い読みしているところだけれど、
なんといっても柴田元幸訳のメルヴィル「書写人バートルビー」が、
圧倒的におもしろかった。


読み始めたときは、「白鯨」のメルヴィルの作品だとか、柴田元幸訳だとか、
余計な情報が頭に残っていたのだけれど、最初の1、2ページを読んだあたりでは、
すっかり作品の世界に入り込み、あっという間に読了。
中盤、にやにやしながら「やれやれ〜!」という気分で読み進め、
最後は語り手といっしょに、胸が痛くなるような、おごそかな気持ちになった。


まず、主人公バートルビーが登場するまでの10ページが、めちゃくちゃおもしろい。
そこに描かれている3人の使用人プラス、語り口から想像できる語り手のキャラクターが、
現代の日本に置き換えてみても、よくいるようであり得ない、あり得ないようでリアル、
なんともいえず滑稽で、この人たちよりさらに奇矯な人物であるらしい、
バートルビーくんへの期待がぐんぐん高まっていく。


満を持して、バートルビーくん登場。
「そうしない方が好ましいのです」のフレーズの繰り返しと、
少しずつエスカレートしていくバートルビーくんの狂気(と呼んでいいのかわからないけど)に、
わたしは語り手といっしょに翻弄されて、「どうしよう、どうしよう」と悩んでしまう。
この、ラストへ向けて少しずつエスカレートしていく感じや、
バートルビー登場前の10ページで紹介した他の使用人たちとの絡み方、
語り手のキャラクターなど、
これはもう、やっぱり正統な「文学作品」「古典」といわれるものならではの、
小説としての巧みさ、恐ろしいほどの奥深さを感じないわけにはいかないのだった。
いやあ、「古典新訳文庫」の読書がちょっと滞っていたんだけど、やっぱり古典はちがうなあ。すごいなあ。


柴田元幸の翻訳がうまい、ということを今さら言っても仕方がないと思うのだけれど、
書写人バートルビーが、語り手(上司)の仕事上の指示に対して、はじめて
「そうしないほうが好ましい」と言った場面を少しだけ引用。
  

   「そうしない方が好ましいのです」と彼は言った。
    私はじっと彼を見た。ほっそり痩せた顔、灰色の瞳は翳りある落ち着きを湛えている。
   気が高ぶっている様子は微塵もない。あれでほんの少しでも、不安、怒り、苛立ち、不遜などが
   その物腰から感じられたなら、要するに少しでも人並に人間らしさが漂っていたなら、
   私は間違いなく彼を叩き出していたことだろう。
   だが実際には、そうしようという気は、
   事務所に飾ったキケロの青白い焼き石膏の像を追い出す気にならぬのと同様、
   まるで起こらなかったのである。
   私はしばし立ったまま、己の仕事を黙々と続けているバートルビーに見入っていたが、
   やがて自分の机に戻った。何と奇妙なことか。どうしたらいいのか?
   (162ページ)


いやあ、うまい。メルヴィルがうまいのか柴田さんがうまいのかわかんないけど。
書き写していて、もっともっと、たくさん引用したくなる。


それで、「モンキービジネス」なんだけれど、
わたしはどうも、柴田さんが翻訳している現代作家の作品があまり肌にあわないらしい。
オースターとかミルハウザーとか、ファンも多く、翻訳仲間の間ではすこぶる評判がいいので、
何冊か読んでみたものの、どうも、「ふーん」という感じだった。
でも、このメルヴィルもよかったし、前にジャック・ロンドン(だったと思う)の短編を訳して朗読してくれたのを聴いて、
うわあ、と感激した記憶があるから、古典の柴田訳は、かなり相性がよいのではないかと。
「モンキービジネス」の最後のページに、


  2 それで、毎号の猿(引用者注:柴田さんのこと)の仕事として、編集のほかに、
    毎回二本の作品を翻訳します。
    一本は現代の作品、一本は古典です。


と書いてあった。
で、何が言いたいかというと、次号の「モンキービジネス」も、
この柴田元幸訳の「古典」を読むために、920円出して買うぞ〜ということ。
何をとりあげるのかも楽しみだ。


今日もこれから休日出勤。
今度上司から気に入らない指示を受けたら、
「そうしない方が好ましいのです」と言ってみようかな〜。
(……なんてくだらないことを考える人は、山ほどいるんだろうな〜)