龍村の帯 母の思い

昨日、同じマンションに住む高校のテニス部の先輩に付き添ってもらい、
日本橋の呉服問屋へ着物を買いにいった。
何しろ予算に限りがあるので、どうしようかと母に相談したら、
「うちにいい帯があるので、それを使ったら?」とのことで、送ってもらった帯をもって、
「この帯にあう着物をください」という買い物のしかたとなった。


生まれてはじめて呉服問屋などというものの中に入って、どきどき。
早速、母の帯を出すと、お相手をしてくださった店員さん(というのかな)が、「これは……」と驚いている。
どうやらわたしはまったくわかっていなかったのだが、大変な値打ちものらしい。
「せっかくの帯がいきる着物を」ということになり、結局、わたしの顔うつりなどとは関係なく、
「帯がいきる」「帯がはえる」の一本やりで、購入する着物は決まった。
思っていたよりずっと落ち着いた色・柄の、まさしく「帯がはえる」上品な着物だ。
わたしが鏡の前で羽織っていても、その場の皆が口をそろえて「後ろ姿がすてき」という。


あれれ、という感じだけれども、でも、わたしは母の帯がそんなふうに言ってもらえて、
なんだかとってもうれしかった。
思えば20歳のとき、テニスに夢中だったわたしは、「試合があるから」とかなんとか言って、成人式にもでなかった。
当然、振袖もつくらなかったし、だいたい、あんなごてごてした衣装は、自分にはぜったい似合わない、と思っていた。
ところが最初に就職した会社が派手な会社で、時はバブルの真っ只中、1月の仕事始めの日には、女性社員は全員着物で盛装、
という事態に見舞われた。もちろん、強制ではない。でも、同期の女子社員が皆、振袖でウロウロしている中、
一人、ワンピースで過ごした1年目の正月は、ちょっとつらかった。それで、両親にお願いをして、振袖をつくってもらった。


母とふたりで横浜のそごうにいって振袖を買ったときのことを、
とてもよくおぼえている。
昨日と同じように、いろいろな着物を羽織ってみて、似合うだ似合わないだ、太って見えるだ色黒に見えるだ、
それはもう、大騒ぎだった。はじめての着物だから、着物そのもののほかにも、小物一式すべて揃えて、
親としてはもう、ものすごい大出費だったとおもう。
でも、とにかく大騒ぎの末に、とても気に入った着物が買えて、母もわたしもすごくうきうきして、
めちゃくちゃ幸せな1日だった。


昨日、帰宅してすぐに母に電話をした。
「ママの帯ね、問屋さんの人に、すごくほめられたよ」と報告したら、母はほんとうにうれしそうに、
そんな値打ちものの帯がなぜ母の手元にやってきたのか、という顛末を話してくれた。
そして、わたしが着物を買おうと思ったこと、母の帯をしめようと思ったことが、とてもうれしい、と言った。
母にしてみると、子どもも持たず、朝から晩まで髪ふりみだして働いているわたしは、
「女性らしい幸せをまったくあじわっていない」ように見えるらしい。
23歳のときも、43歳のいまも、わたしはわたしなりに、人生を謳歌しているつもりなのだけれど。


でも、23歳のときと同じように、昨日もほんとうに、ばかみたいにうきうきして、
仕事の段取りや職場の鬱々、なにもかもすべて、すこーんと頭から消えさって、
めちゃくちゃ幸せな1日だった。
着物をきる機会なんてそんなに多くはないのだろうけれど、これからせっせと機会をつくって、
できれば自分で着られるようになって、ちょっとした会には着物で出席、なあんてことができたらいいな、と、
夢が広がっている。それがなんだかちょっぴり、親孝行にもなるような気がする。