阿部公彦編『しみじみ読むイギリス・アイルランド文学』

しみじみ読むイギリス・アイルランド文学 (現代文学短編作品集)

しみじみ読むイギリス・アイルランド文学 (現代文学短編作品集)

読了。まず最初にこの本は、文学史や文学研究の本ではなく、
現代イギリス・アイルランド短編小説と詩を全部で12篇収録した「作品集」である、ということを記しておきたい。
目次を見ればわかるように、とりあげている作家は、
シェイマス・ヒーニーカズオ・イシグロ、グレアム・スウィフト、フランク・オコナーと、
そうそうたるメンバー。イシグロやスウィフトの未訳短編が読めるのだから、イギリス小説好きにはたまらない一冊、なのだ。


短編集を読む楽しみのひとつは、「私のお気に入り」さがしだ。
人がどう思おうと関係ない。5年後、10年後、あるいは1週間後に読み返して、自分が同じように思うとは限らない。
1冊読み終えて、いまこの瞬間の自分にとっての「お気に入りはこれ!」というのを見つけられれば、ほかはつまらなくても構わない、という気になる。


この作品集の私のお気に入りは、エドナ・オブライエン「敷物」。
どうってことのない話だし、ラストはおおかた予想通りなのだけれど、
アイルランドの貧しい一家の様子がとてもユーモラスで、でも、ちょっと切ない。
フランク・マコート『アンジェラの灰』の、短編バージョンというような趣。
英語で読んでみようかな、と思ったりもしている。


そのほか、いいなあと思ったのは、イシグロの「ある家族の夕餉」、スウィフト「トンネル」、オコナー「はじめての懺悔」で、
うーん、期せずして大御所ばかり。
現代作家の短編選やアンソロジーを読むもうひとつの楽しみは、
「これから追いかけてみたい新しい作家」を発見する、ということなのだけれども、
残念ながら、「へえー、この人知らなかったけど、よさそう〜」という作家は、今回は見つからなかった。


翻訳は、6名の訳者の個人差はあるとは思うけれども、全体に硬い印象。
語彙の選び方や訳し方が、妙にこなれているところとがちがちのところがあって、でこぼこしている感じの訳もあった。
作品の後についている「解説」になると、がぜん文章が安定して落ち着いてくる。
作者・作品ともに的確な解説ばかりなので、これを読んでからもう一度作品を読むと、ぐんと理解が深まる。


最初にちょっと書いたけれども、
タイトルだけ読むと、文学史か文学研究の本のように見えてしまうのが残念。
新進気鋭の英文学者6名が選んだ、現代イギリス・アイルランド傑作短篇集なのだ、ということを、
前面に出してうたったほうがよかったんじゃないかなあ、と思う(普通の小説の読者に読んでもらいたいのならば)。


イギリス短編選というと思い出すのは、やはり小野寺健編訳『20世紀イギリス短篇選(上・下)』である。

20世紀イギリス短篇選〈上〉 (岩波文庫)

20世紀イギリス短篇選〈上〉 (岩波文庫)

20世紀イギリス短篇選 (下) (岩波文庫)

20世紀イギリス短篇選 (下) (岩波文庫)

キプリングからはじまり、モーム、フォスター、ウルフ、ジョイス、ロレンス……と、
イギリス文学の大御所中の大御所の短篇を網羅して、ものすごいおトク感のある上巻。
ジーン・リースからはじまり、ミュリエル・スパーク、ドリス・レッシング、ウィリアム・トレヴァー……と、
読了当時の私にとって「(新しくはないけれども)これから追いかけてみたい作家」満載だった下巻。


たしかこの本をはじめて読んだのは、20代の後半、翻訳の勉強をはじめたばかりのころだったと思う。
通っていた翻訳学校は、講師の顔ぶれの影響もあってか、「ミステリの翻訳がしたい」という生徒が大半だった。
「雑誌やノンフィクション翻訳をしたい」という人もちらほらといたと思う。
そんな中で、私は無謀にも、この『20世紀イギリス短篇選』のような仕事がしたい、と思っていた。
「文学ものは大学のエライ先生方のおしごと」という常識は十分承知していたのだけれども、
そういう志をもつこと、それを口にすることは、別にだれに迷惑をかけるわけでもないでしょう、と思って、
翻訳学校の講師の先生から、「どういう方向に進みたいですか」という質問をされるたび、
「ええと、あのう、一応、文学を……」と答えたりしていた。
この本の小野寺さんの翻訳や、吉田健一訳のフォスター『ハワーズ・エンド』などを、
原文と照らし合わせて読んだり、「写経」のようにノートに写したりして、それなりに一生懸命だったなあと思う。


『20世紀イギリス短篇選』のような仕事、の中には、実は「翻訳」ということだけでなく、
作品を選び、「作品集」を編む、という仕事も含まれている。
星の数ほどある作品群の中から「これ!」という作品を選び、翻訳をする。
「この人だったらこっちのほうがいいかなあ、作品の質としてはこれだけど、
前のこれとテーマがかぶるから、やっぱりこれかなあ……」なんて、あれこれ考えて、
「作品集」をつくるという仕事は、どんなにか楽しいだろう。


というわけで、『しみじみ読むイギリス・アイルランド文学』は、
私の「あこがれのおシゴト」にかなり近いということで、
その分、やや読む目が厳しくなり、いつになく辛口のコメントになってしまった。
でも、そうはいっても、私としては「待ってました!」という企画であり、
その期待に十分こたえてくれた作品集であることは、むろんまちがいない。
姉妹編の『しみじみ読むアメリカ文学』も、ぜひ、読んでみよう、と思う。


ちなみに、20代後半の私にとって、『20世紀イギリス短篇選(上・下)』の中のいちばんのお気に入りは、
マーガレット・ドラブルの「再会」という作品だった。
「中年男女の不倫の恋を扱い微妙な心のゆれをとらえた(表紙解説より)」作品で、
いま読み返してみると、いい作品だとは思うけれど、当時のようには心を揺さぶられない。
その理由は……推して知るべし?