作家の文章・職人の文章

今週、作家の人たちと話をするという機会に恵まれた。
編集者なら当たり前じゃない、と思われるかもしれないが、そんなことはない。
大手出版社の文芸担当にでもならない限り、作家さんと接する機会など、皆無に等しいのだ。
わたしはこのたび、ものすごい幸運にめぐまれた、ということだ。


ここではもちろん、詳しいことは書けないけれど、
とにかくお話をしている間じゅう、わたしはそれぞれの作家さんのまわりに漂う独特の「世界」のようなものにすっかり魅了され、
ぽーっとして上手に仕事ができなかった、ということだけ、記しておこう。
それからもうひとつ、この何ともいえない魅力というのは、
優れた翻訳家や文学研究者と話をしているときに感じるものと、とても似ているようで、
実はだいぶちがう種類のものなんじゃないかと思った、ということも。


少し前に、江國香織訳の「源氏物語」で、夕顔が、「だって、たのしかったもの」と語るのにしびれた、ということを書いた。
翻訳に、作家の翻訳と職人の翻訳があるとするならば(って、ずいぶん大雑把な言い方だけど……)、
明らかにこれは、作家の翻訳だ。
少し前に読了した『フランク・オコナー短篇集』は、読みながら同じような感覚を覚えた。
(訳者はいわゆる作家ではなく、文学研究者だけれど。)

フランク・オコナー短篇集 (岩波文庫)

フランク・オコナー短篇集 (岩波文庫)

採録されている11編は、どれもそれぞれにおもしろいのだけれど、
わたしがとくに好きなのは、
「ぼくのエディプス・コンプレクス」、「ある独身男のお話」、
「あるところに寂しげな家がありまして」「ルーシー家の人々」といったところ。
訳者あとがきでの訳者のテーマ別5分類によれば、
わたしのお気に入りは、(1)親子、兄弟などの親族問題 と、
(3)抑圧された女性の反抗。過去を抱えた女性。
に、はっきりと偏っている。
これはもちろん、わたしが政治や宗教にあまり関心がない、ということが大きいと思うのだけれど、
これらの作品においては、翻訳が「職人としての翻訳」を少しだけ逸脱して、まるで訳者自身が物語を書いているかのように、
訳しおろしていることも関係しているのではないか、と思う。


たとえば、冒頭の「ぼくのエディプス・コンプレクス」。
戦争から帰ってきた父に、母をとられたように感じる幼い少年が主人公で、
両親の寝室でおしゃべりをしたいと言う少年と母との会話のシーン。


   「ねえ、ママ」ぼくも負けずにきっぱり言った。「パパだって自分のベッドで寝た方が身体にいいよ」
   母さんはこれには少したじろいだみたいで、しばらく何も言わなかった。
   「これで最後よ」母さんが口を開いた。「静かにしてるか、自分のベッドに戻るか。どうするの?」
   あまりにずるい。がっかりだ。(23ページ)


「あまりにずるい。がっかりだ。」て、原文はどうなってるんだろう。
わからないけれど、職人的に訳したら、こうはならないような気がする。
このあと主人公の「ぼくはくそっと思って、父さんに蹴りを入れた」りするのだけれど、
これって、ほんとに翻訳なの? という感じがする。
それは、訳がこなれているとか、翻訳臭がしないとか、そういうのとはちょっとちがっていて、
うーん、なんというか、訳者が作家になりすましちゃってるというか、自分の言葉で語りなおしているというか、
そんな感じなんだな。
いま、ここで、物語が作られているような感覚。


親子、兄弟、夫婦など、ごく身近な人々の間の、微妙な心と言葉のやりとりを描いた作品ほど、
作家の、そして作家になりすました訳者の筆が冴えているように思う。
兄弟の確執を描いた「ルーシー家の人々」を、わたしは息をつめて読んだ。
物語が終盤にさしかかると、祈るような思いで年老いた兄弟の和解を願った。そして、ラストシーンへ。
うーん……。そうきたか……。
どんでん返しも、意表をつく展開もないけれど、
小説らしい、いい終わり方だと思った。
表紙の装丁も上品ですてきだし、この「作家の翻訳」はもしかしたら好き嫌いがあるかもしれないけれど、抜群にうまい。
地味な短篇集だけれど、だからこそ、小説好きの高校生などに、じっくり読むことをすすめてみたいと思った。


ここのところ短篇が続いたので、次はがつんと長編を読もうと思い、
鞄の中に水村美苗本格小説』を入れた。
お昼ご飯を食べに千歳烏山へ行き、ちょっとだけ本屋に寄ったら、
水村美苗の『日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で』という本があった。
最後の一章「英語教育と日本語教育」をちらちらと立ち読みして、おお、これは買わねば、と思い、購入。

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

さらにレジ横で、上野千鶴子責任編集「おひとりさまマガジン」という不思議な雑誌を発見。
これもぱらぱらと立ち読みしてすぐに、先ほどの水村美苗とは別の意味で、おお、これは買わねば、と思い、購入。
おひとりさまマガジン 2008年 12月号 [雑誌]

おひとりさまマガジン 2008年 12月号 [雑誌]

あっという間に読了。いろいろ思うところはあるけれど、
今日はもう眠いので、感想は後日。