古典新訳文庫『レーニン』

レーニン (光文社古典新訳文庫)

レーニン (光文社古典新訳文庫)

読了……と書きたいところだけれども、例によって挫折。
100ページまで読んだけれども、まだ革命がはじまっていない。
うーむ、単純に回想録として読めるし、エピソード中心で結構読みやすいのだけれども、
なぜか思うように進まないので、とりあえず中断することにした。
レーニンさんという人のことは、「歴史上の人物」だと思っていたし、これまであまり関心もなかったのだけれども、
同じく「歴史上の人物」であるトロツキーさんが、生々しく語る「同時代人」のレーニンさんの話は、
たった100ページの中でも、へえ、と思うようなところがいくつもあった。
たとえば、こんなところ。


    マルトフはレーニンよりもはるかに、今日という日の中で生きていた。
    時事問題や日々の著述活動、政論、ニュース、会談の中で生きていた。
    レーニンは、今日の問題に取り組みながらも、明日という日に思いを馳せていた。
    マルトフの頭には無数の――そしてしばしば機知に富んだ――洞察、仮説、提案がつまっていたが、
    しばらくすると彼自身そのことを忘れてしまうことも珍しくなかった。
    それに対してレーニンは、自分に必要なことを、必要なときに捉えた。
    (54ページ)


    ……このような事業を開始し最後までやり通すためには、強力な目的意識性のいっさいを必要とした。
    レーニンは弦をぎりぎりまで、限界まで引きしぼり、どこか弱いところがないか、切れそうなところはないかを調べた。
    「そんなに引きしぼってはならない、弓が壊れてしまう!」と四方八方から人々が叫んだ。
    「いや、壊れはしない」、と弓使いの名人は叫んだ――「われわれの弓はプロレタリア的材料からできているのだ。
     党という弦をもっともっと引きしぼらなければならない。
     なぜなら、重い矢を遠くまで飛ばさなければならないからだ!」
    (101−102ページ)


よくわからないけれども、翻訳はかなりうまいのではないかと思う。
丁寧に訳してあるような印象だけれども、原文の勢いというか、時代の気分みたいなものも、きちんと伝わってくる。
用語の解説や注のバランスもちょうどいい。
しおりに、登場人物がフルネームで紹介されているのもとても便利。
それにしても、どうしてロシアの人たちって、同じ人をいろんな呼び名で呼ぶのだろう。何か基準はあるのかな。
会話文の中ならともかく、地の文のところで、突然、「……とヴェーラ・イワノヴナは言った」なんて出てきて、
「ええっ、この人だれ??」と思ってしおりを見ると、なんだ、それまでずっと話題にしていたザスーリチのことで、
どうして突然、ザスーリチと表記しないでヴェーラ・イワノヴナと書くのか、翻訳者も「ザスーリチ」に統一したりしないで、
この呼び名をそのまま残して訳すのか。きっと深い理由があるのにちがいない。


それで、次はウォーカーの『箱舟の航海日誌』を読み始めた。
のだけれども、どうも進まない。
児童文学だし、イギリス小説だし、これが読めなかったらほかが読めるはずがないってくらい、「得意分野」なはずなのに。
明日は仕事関係の学会で宇都宮へ。往復の車中で読み終えられるかな。


ここのところ仕事関係でなんとなく鬱々しており、読書不調はそのせいかと。
自分では結構、協調性があって親分肌だと思っているのだけれども、
同居人に言わせればそれは「大きな間違い」らしい。
「あなたはかなりマイペースで自分勝手な人だ」と。あらら、そうだったのか。反省。