開放と解放

先日、鎌倉の実家に帰った折、母が近所のブックオフで買ったという新書を持ってきた。
うちの母はわりと読書家で、純文学なども結構読むのだが、
この新書というのは、おしゃれの秘訣本のような、いわゆるハウツー本だった。
母はあまり身の回りをかまわない娘を常日頃から案じていて、
実家に帰るたびに、もっとおしゃれをしろ、化粧をしろ、とうるさいのである。


自分ではぜったいに手にとらないタイプの本なので物珍しく、
ぱらぱらながめていたのだけれど、
奥付を見ると2001年刊行とあり、10年前のおしゃれ指南本かあ、と興味がなくなり、
机の上にぽいっと置いた。
それを同居人が手にとって、奥付をチェック。2003年で既に13刷。あーあ。二人でため息をつく。
こういう本が売れるんだねえ……。


「売れない編集者」のねたみは深く、同居人はいきなり、
「お、1ページ目から誤植発見」とのたまう。
「売れない編集者2号」は嬉々として本を奪い取り、「どれどれ……」と1ページ目をチェックする。
「あ、ほんとだあ。校正があらいんだねえ。だめだねえ」と声をはずませる。
もともとは研究職なのだけれどいまは業界紙の編集の仕事もしている兄が、
「どれどれ、ぼくにも見せろ」といって、1ページ目に目を通す。兄は誤植を見つけられない。
若い頃は「国語の大家」と呼ばれたことが自慢で、出版社勤務の経験もある母と、
退職後は暇にまかせて結構本を読んでいる負けず嫌いの父も、
「よし、見つけてやる」と誤植探しに挑戦。見つけられず。


結局、本業編集者の2人と、素人さん3人の実力の差が出たというわけで、面目躍如、ではあったのだが、
この誤植というのが、「解放」と書くべきところを「開放」と書いてしまったという、
ワープロ入稿時代の典型的な変換ミスだった。
で、3人にその「答え」を教えたところ、「……どうでもいいじゃない……」という反応。
……たしかに、この新書を読むうえで、「解放」を「開放」って書いたところで、何の支障もないものね。うーん。
でも、編集者っていうのは、こういうのを見逃せない人種で、
常に「誤植ゼロ」を目指して、日々、疑いぶかーい目で、ねちねちと原稿を読むものなのだ。


誤記・誤植を出さないのはもちろんだけれど、
著者の原稿をよりわかりやすく、より魅力的な刊行物にしあげていくのが、編集者の仕事だ。
もちろん、社会の動向や流行に敏感に反応し、売れる企画を出していくってことも大事な仕事なのだろうけれど、
日々の仕事の大半は、目の前の原稿およびその向こうにいる著者と、有言無言の濃密な会話を交わし、
ときに険悪になることがあっても、刊行物に対する共同責任者として徹底的につきあうことに終始するように思う。


別に母がブックオフで買ってきたこの本を批判したくて書いているわけではない。
ただ、1ページ目から誤植があるような本を見ると、この本に対する著者と編集者の思いというか、意気込みは、
その程度のものなのか、と思ってしまう。
誤記や誤植をすぐに直せるブログやWEB雑誌と違って、単行本や雑誌などの刊行物は、
著者と編集者の真剣勝負の結果であるべき、と思っているのだけれど……まあ、ちと古いと言われそうだな。


明日から会社。もうこれまで何度も決心して挫折したことだけれど、
今年こそ、朝型に切り替えて、早めに出勤、早めに退勤、を実践したいと思う。あと、ダイエットね。