大江健三郎講演会

会社を休んで出かけていった甲斐があった。とてもいい講演会だった。


講演会タイトルは「知識人になるために」。
大江さんのお話は、72歳の大江さんがこれまでに出会った3人の知識人をめぐって展開した。
その3人とは、渡辺一夫、サイード武満徹
わたしはその中でも、田舎の高校生だった大江少年が渡辺一夫の文章と出会い、
東京に出てきて渡辺のもとで仏文学を学び、生涯、渡辺のあとを追い続けたという話が、
とくに感銘を受けた。思わず、涙が出てきてしまった。


銀行カードの暗証番号を、絶対に忘れないようにと渡辺の生没年にしたのだけれど、
それを講演会などでしゃべってしまって、銀行の人から叱られたという話や、
せっかく東大に入って渡辺の授業を受けてみたらこれ以上ないってくらいに退屈な授業で、
それでもその講義から聞こえてくる「声」は、まぎれもなく渡辺の「声」だったのだという話。


「知識人」とは、こういう個人の「声」を持っていなければならない、ということを、
大江さんは一貫して話していたように思う。
そしてサイードの「知識人とは何か」(大橋洋一訳)の次の部分を引用した。
(「知識人は、引用を正確にする人である」と言って、辛辣なジョークをとばしつつ……)

知識人とは何か (平凡社ライブラリー)

知識人とは何か (平凡社ライブラリー)


  わたしの論旨は、知識人が、表象=代弁する技能を使命としておびた個人であるということにつきる。
  この使命は、どのようなかたちで実現されてもよい。おしゃべりでも、ものを書くことでも、
  教えることでも、テレビに出演することでも。
  そして、この使命が重要なのは、それが公的に認知されたものであり、それには責務とリスクがともない、
  また大胆さと繊細さも必要となるからである。
  たしかにジャン=ポール・サルトルバートランド・ラッセルの書いたものを読むとき強く迫ってくるのは、
  その論じかたではなく、彼ら特有の個人的な声であり、その存在感であるが、
  これは、彼らが自己の信ずるところを臆せず語っているからである。
  彼らが、顔のない役人やことなかれ主義の官僚によもやまちがわれることはあるまい。
  (39−40ページ)



ほかにもエピソード満載、それも辛口・甘口のジョークを織り交ぜながらのトークは、
わたしの「作家・大江健三郎」のイメージを、一新したのだった。
大変残念だったのは、時間の関係で、高橋和久さんのお話が中止になってしまったこと。
この日の講演のような、ある種ロマンチックなお話について、高橋さんのような人はどんな感想をもつのか、
とても興味があったのだけれど。


東大の先生方からの質問コーナーは、質問者の個性が出ていてなかなか面白かった。
大江の作品を「耳元でささやく声」がする「気配」の小説、というような読み方をした質問者にたいして、
大江は、たしかに「言いがたき嘆き」が「祈りのことば」へと変わっていく瞬間がある、
「神」のようなものの気配が、「知の声」を耳の後ろから伝えてくる、
というような返事をしていた。(うーん、聞いているときはわかったような気がしたのだけれど、
あらためて文章にしようとすると、なんだかとんちんかんだなあ)


でも、最後に会場からの質問に答えて、大江さんは、
「書くこと」と「書き直すこと」の大切さを力説していたから、
多少とんちんかんでも、つたない文章でも、とりあえず書いてみた。
ので、後でたぶん雑誌などに講演録が載るだろうから、それを見てもう一度書き直すつもりだ。


「知識人になるために」なんて、ずいぶん大仰だなあ、気恥ずかしい演題だなあ、と思っていたけれども、
会場をあとにするときには、わたしのような凡人でも、「知識人になる」努力をしてもよいのだ、と思った。
大江だって、サイードだって、東大の先生方だって、「わたしは知識人です」などとは言えない。
でも、その場にいただれもが、「知識人になりたいと思います」とは、言ってよいのだと思う。
これが、大江が最初に、「この演題は、知識人になるために、の、『なる』というところが重要なのです」と言ったことの意味だと、
わたしは解釈している。


大江健三郎の新作は、ポーの詩「アナベル・リイ」の日夏耿之介訳を下敷きにしているらしい。

ポオ詩集 サロメ―現代日本の翻訳 (講談社文芸文庫)

ポオ詩集 サロメ―現代日本の翻訳 (講談社文芸文庫)


  在りし昔のことなれども
  わたのみさきの里住みの
  あさ瀬をとめよそのよび名を
  アナベル・リイときこえしか。
  をとめひたすらこのわれと
  なまめきあひてよねんもなし。
  (冒頭部分 30ページ)


なんかよくわかんないけど、かっこいい訳。