メーデーからガッカイへ

初夏というより真夏のような日差しのもと、
大混雑のメーデー会場へ。
べつに熱心な組合員というわけでもないのだが、
気づけばあちこちにクミアイ関係の知り合いができたようで、
会釈をしたり、無沙汰を詫びたり。
行進がはじまって、宣伝カーに乗っている自分の職場の同僚の先導に従い、
もぐもぐとシュプレヒコールをつぶやく。
「教科書の定価をあげろ−!」というのと、
「子どもたちに青い地球を残そう!」というのが、
まったく同じレベルで語られるのがおもしろい。


ちゃんと全行程を歩き、解散。
すぐにガッカイの会場へ向かう。
炎天下で3時間以上立ちっぱなしだったので、かなりへとへと。
「ガッカイ行くのやめようかなあ」などと弱音を吐きつつ、どんどん前を歩いていく同居人を追いかける。
こんなに疲れていたら、発表の間中、寝てしまうのではないか、と不安になりながら、会場へ。


杞憂だった。
わたしが聞いたのは、18世紀イギリス小説についての講演と、W・B・イエイツの詩についての発表だったのだが、
どちらも大変おもしろかった。
講演のほうは、リチャードソン『クラリッサ』についての話だったのだけれど、
まず、『クラリッサ』についてほとんど何も知らないわたしが聞いても十分理解できる話ぶり、というのがすごい。
ハンドアウトは英文びっしり、しかも半分以上が16、17世紀の英語、ということで、
もちろんわたしにそれがすらすら読めるはずがない。
それなのに、部分部分をみごとに訳しながら論を進めてくれるので、
「英語力不足」によるハンデがほとんどない。
さらに、なんとか主義とかなんとか理論をほとんど援用しないので、
その面でのハンデもない。
となると、わたしのような者でも自分の手持ちの知識と理解力だけで、
十分に論の展開についていけたし、言及された作品を読んでみたいなと(無理だけど)思ってしまうくらいだった。


もうひとつの発表のほうも同様。
ハンドアウトは前の講演者とは対照的で、一篇の詩とその日本語訳、それにその他の引用や参考文献があるだけのシンプルなもの。
でも、その一篇の詩を丁寧に精読していって、その結果わかることを発表していく。
もちろんほかの詩や伝記的なことや先行文献もちゃんと調べているんだけど、そのことはあまり誇示せず、
とにかく論に漏れがないように、丁寧に分析していく。
こちらもまた、難しい用語はまったく出てこなくて、
わたしでも十分についていける、かつ、おもしろい内容で、
あんなにくたくただったのに、眠くなる暇がないくらいだった。
さらに発表後の質疑応答も、結構おもしろくて、
発表者の受け答えも堂々たるもので、さすがだな、と思った。


実はこのイエイツの詩についての発表者はわたしの年上の友人で、
社会人として何年も働いてきたあとで、大学院で英文学を学び始めたという努力家なのだ。
「よく勉強してます」で終わらない、自分の言葉で組み立てた発表と質疑応答の内容は、
人生経験の少ない若造には、ちょっと真似できないんじゃないのかな、と思ってしまった。ブラボー!


メーデーからガッカイへ、いつもとはちょっと違う感じの1日。
締めくくりに勝手知ったる久我山エキナカ書店に寄り、
自分にとって「いつも」感の強い本を3冊購入。
浅井リョウ『桐島、部活やめるってよ』→大好きなブロガーりつこさんがおすすめしてたから。
江國香織『真昼なのに昏い部屋』→だれかが江國香織の最高傑作って言ってたから。
&帯にある「きちんと」って江國香織が好きな言葉だな、と思ったから。
小西甚一『古文の読解』→60%仕事モード。
では、のんびり紅茶でもいれて、浅井リョウなど読みながら、同居人の帰りを待ちますか。


……で、読了。

桐島、部活やめるってよ

桐島、部活やめるってよ

著者は、1989年生まれだ。
若者ことばにあふれた青春小説だけど、ストーリーのつくりはわりと古典的。
漫画か映画の脚本を読んでいるような気がしないでもないけど、
でも、著者が生まれた年よりさらにさかのぼること7年、17歳のわたしが日記に記した日常と、
あまり変わらない世界が描かれていて、心の奥のほうが微妙にちくっとした。
ちなみに、朝日の佐々木敦氏のこの本の書評、全体に悪くないんだけど、
「一言でいえば『ダサい文化系がイケてる体育会に勝利(?)する話』である。」
って書いてるのは、えー、そうかな?と思った。