黄金週間後半

反省。10日もあった「夢の読書週間」に、なんと単行本1冊しか読了できなかった。
5月2日、青山七恵『ひとり日和』読了。

ひとり日和

ひとり日和

この日、長いつきあいの翻訳仲間二人と丸の内でランチ。
思わず『ひとり日和』についての感想をまくしたてる。


これだけいろいろしゃべりたくなるのだから、きっとよく書けているのだろう。
でも、話しているうちに、主人公の20代フリーターに対するもやもやしたもどかしさが、
若い女の子たち」全般への怒りを含んだ苛立ちに変わっていって、
うわあ、今、わたし、醜い顔してるだろうなあと、思わずあたりをみまわしてしまった。


以前、『嫌われ松子の一生』という小説を読んだときに、
嫌われ松子は、わたしだ」と思ったのだけれども、
この小説の主人公には、どうがんばっても共感できない。ただ、いらいらするばかり。
なぜこんなにいらいらするのかと考えてみると、
どうもこの主人公の「ふわふわした感じ」が、あまりに計算ずくで、
ちょっとかわいそうで、ちょっと傷ついている「わたし」が、ちょっとだけ大人になる、という設定の裏で、
主人公と作者が手を組んで、「どう、わたしたち、うまいでしょ」とほくそえんでいる図が思い浮かんで仕方がないのだ。


もちろん、まじめに働け、とか、真剣に恋愛しろ、とか、言いたいわけではない。
わたしはどうしても共感できない、できればこういう人とは友だちになりたくない、それだけだ。
仕事ののみこみは早いし、ルックスもそこそこ、必要に応じて愛想もふりまける。
でも、周囲のだれに対しても、心を開かない。
そういう20代の女性と相性がいいのは、同じようにふわふわしている同世代の男性や、
そんな彼女たちを「わかるわかる」と目を細めて見守るおじさんたち、
それに、この小説に出てくるような、60代のおばあさんたち。
残業してると「だいじょうぶ?」とわざとらしく声をかけてくる40代の職場の先輩なんてのは(←小説とは無関係、わたしのフィクション)、
おそらく宿敵なのだろう。
そして、自分自身の情熱的な恋愛に走る、団塊世代の母親(←これは、小説の設定)も、また。


この文章を書いていて、気づいてしまったのだが、
「こういう人とは友だちになりたくない」と書いているわたしの心理は、ちょっと屈折しているようだ。
というのは、「共感できない」というのに嘘はないのだが、なぜかこういう人に魅かれてしまう、という傾向があるようだから。
友だちになりたくない、というより、近づくと自分が傷つく結果になりそうでこわい、という感じなのかもしれない。
少なくとも丸の内でランチをした同世代の翻訳仲間に対して、こういう不安を抱いたことは一度もない。
(隠していた自分の欠点をずばり言い当てられて傷つく、という別種の経験はあるにしても。)


全然、小説の感想になってないなあ。
読み終えてから時間がたちすぎて、自分にとっての読後感というか、印象だけが、強烈に残っているという感じ。
そうだとすると、やはり、小説としてはよく書けている、ということなのだろう。


3日は昨年につづき、多摩ウォークラリーに参加。去年は40キロ歩いたけど、今年はひよって20キロコースを選択。
4日は御徒町から夢の島まで、自転車で走る。
5日・6日、ほとんど出歩かず。マンション内のジムで自転車こぎ。
7日〜9日、素晴らしいお天気。吉祥寺や千歳烏山を歩く。
この間、同居人以外の人とほとんど口をきいてないような気がする。


こんなに暇なのに、なぜ単行本一冊しか読了できなかったか。
理由はひとつ。
前からみたかったDVD「カポーティ」を借りるときに、軽い気持ちで借りた「チャングムの誓い」がすべてだ。

カポーティ」だって、ちょっと眠くなったけど、十分おもしろかった。
わりと最近『冷血』を読んだので、相互に補完しあって理解が深まったような気がする。


でも、そのあとに「チャングムの誓い1」をみてしまったら、もう、だめ。
せっかく借りた「バリー・リンドン」は、観ないままに返却することに。
以後、我が家は寝てもさめても、チャングムチャングム
『ひとり日和』の主人公とはまさに正反対の、けなげでひたむきな女主人公チャングムと、
周囲の人々の描く人間ドラマ、壮大な風景や音楽、等々に、すっかり夢中になってしまったのだった。
何しろ全18巻54話(1話1時間)。さっき、14巻をみおわった。
今週末にはみおわるかな。これがみおわらないと、読書もブログもはかどらない。


というわけで、「夢の読書週間」は、「夢のチャングム週間」へと変貌をとげた。
「1話ごとの感想をブログに書けば?」――同居人の弁。


あしたから、仕事だ。ううう。