丸谷才一『笹まくら』

笹まくら (新潮文庫)

笹まくら (新潮文庫)

米原万里を「打ちのめした」すごい本、読了。
期待を裏切らない、めちゃくちゃ面白い小説だった。はい、私も打ちのめされました。


何しろこれは、私の大好きな「だめ男小説」に分類できる。
文庫解説などを読むと、この小説は主人公が徴兵忌避をする戦争中の体験を主軸にして、
現在の彼の姿を実験小説風に織り交ぜている、という読み方をするのが普通なのかもしれないが、
わたしはどうしても、大学の職員人事に汲々とし、昔の恋人の訃報にちょっとほっとしてしまう、
でもインテリ気分が捨てられない、なさけなーい男の小説、として読んでしまう。
若い頃にこの本を読んだという同居人は、「桜の場面が圧巻だったでしょ」と言うのだけれど、
わたしは「えっと、ああ、そんな場面あった、あった」と思うくらいで、
印象に残っているのはほとんどすべて、現在の主人公が、ぐずぐず思い悩んでいる場面なのだった。


そうだ、逃亡中の部分で印象に残っているのは、
主人公ではなく、稲葉という砂絵師の話だ。
この男が、東京においてきた妻が浮気をしているんじゃないかと泣き出す場面があって、
ほんとうに男ってのは、どうしてこう、みんな、情けなくて、みじめっぽくて、
しょーもない生き物なんだろうなあ。


まったく、この主人公ときたら、昔の恋人のことを「垢抜けない」とか「小太りだ」とか悪口を言って、
女が死んだと聞いてほっとしたりしているくせに、
若い美人妻に対して気疲れして、やっぱり昔の恋人と一緒になったほうが幸せだったんじゃないかと
いまさらどうなるわけもないのに、くよくよ悩んでいる。
徴兵忌避についても、ほんとうは自分はどういう気持ちだったのか、戦死が怖かったわけじゃない、
逃げたわけじゃない、と自分に言い聞かせながら、でもやっぱりほんとうは、ただ逃げただけじゃないかと、
いまさらどうなるわけもないのに、自分の心の中をのぞきこんで悶々としている。


男は、女は、という言い方をすると、各方面から非難がありそうだけれど、
あえて非難を覚悟して言えば、こういう原理原則を追求するような悩み方って、男の人独特なんじゃないだろうか。
少なくともわたしは、こういう悩み方はまずしない。
過去のあらゆる選択について、「そのときはそれがいいと思ったんだから」それ以上は考えない。
「いまさらどうなるわけもない」ことは考えず、現状を少しでも好転させるにはどうしたらいいだろう、と考える。
女友達と話していても、「元彼」のことをロマンをもって語る人ってほとんどいなくて、
もしいたらかなりの確率で、その「元彼」と現在進行中またはある現実感をもって将来どうにかなりたいと思っているような気がする。


そういう意味ではこの小説は、読書の楽しさを満喫させてくれるだけでなく、
男という生き物のほんとうの姿を教えてくれる、大変「勉強になる」小説、とも言えそうだ。
一方で、女のいやらしさとかずるさも、「もうカンベンして」というくらいしっかりと描きこまれているから、
男性にとっても「勉強になる」のでは。
未読の若い方には、男女問わず必読!といいたい。


次は、古典新訳文庫に戻ってゴーゴリ
「落語調」の翻訳が評判になっているらしく、楽しみ。