健康ランドでヘンリー・ジェイムズを読む
久しぶりの休日。ここのところ連日連夜の午前さまで、背中と腰がばりばりになっていたので、
午前中から永山の健康ランドに出かける。
バッグの中には読みかけの『ある婦人の肖像』を入れて。
- 作者: ヘンリー・ジェイムズ,行方昭夫
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1996/12/16
- メディア: 文庫
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- 作者: ヘンリー・ジェイムズ,行方昭夫
- 出版社/メーカー: 岩波書店
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いやあ、おもしろかった。かなり好きな小説だ。
文学的な価値はよくわからないけど、このネタでこの書きぶり、
わたしの好みに合わないはずがない。
女主人公のイザベルをはじめ、求婚者たち、その他あらゆる登場人物の描き方がじつに見事で、
イザベルがなぜ、この男の求婚を断り、この男と結婚し、こんなことに幻滅し、……というストーリー展開を、
最初、え、どうして? と思わせておいて、やがて、まあ、それは無理もなかろう、彼女ならそんなふうに考えただろうし、
と納得してしまう、というふうに、読者をまきこんでいく。
時折登場する「作者」の姿の見せ方も絶妙で、全3巻の長編小説にもかかわらず、
作者のてのひらの上で気持ち良くころがしてもらっているうちに読了してしまう、という感じだ。
この手の小説を読むといつも、自分にひきつけて読まずにはいられないのだが、
今回も美しく聡明な女主人公に、どっぷりと我が身をひきつけて読書の楽しみを味わった。
(それを軽蔑することはできでも、阻止することはだれにもできないはず!)
そしてわたしがもっとも共感するのは、この女主人公の浅はかな感じを、
作者がやんわりと意地悪に言い表している部分。
たとえば、このような一文。
「イザベルはいつもいろいろな決意をするくせがあり、その多くは気高いものであった。」(下巻15ページ)
うー、がんばれー。意地悪目線に負けるな−。
で、この決意ばかりしているヒロインは、人生の荒波にもまれ、成長していく。
終盤近く、夫とともに自分を欺いていた女性に、棘のある言葉をひとことも言わずに打撃を与え、
表舞台から退散させる場面があって、こういうところを読むと、おー、イザベラくんも成長したなー、と思う。
でもその後のイギリスでのエピソードを読むと、ああ、彼女にはまだまだあぶなっかしいところがある、
また同じような失敗をしそうだ、という気にさせられる。
イザベルのように、自分の頭で考え、自分の意志で行動し、その責任をとろうとする女性は、
そのことによって得るものもあれば、失うものもある。
夫の娘パンジーのように、庇護者の意見に耳を傾け、その意志と希望を尊重し、自分の人生をゆだねようとする女性もまた、
そのことによって得るものもあれば、失うものもある。
知性とユーモアを尊重するイザベルがなぜ、貧乏で孤独なエゴイストにひっかかったのか、また、
鋭敏な感覚を持つ彼女がなぜ、もっとも身近な人の裏切りに気づかなかったのか。
訳者解説で触れられているように、わたしもこの小説のラストは「オープンエンド」だと思った。
続編を書くならば、30になっても40になっても、まだまだ荒波にもまれ、迷い、失敗しながらも勇敢に立ち向かうイザベルを描きたい。
小説のストーリーと、自分の人生とを、行ったり来たりしながら、
はるか昔の、とっくに忘れていたことを突然思い出したりもして、いやあ、大正解の読書だった。