古典新訳文庫ディケンズ『クリスマス・キャロル』

クリスマス・キャロル (光文社古典新訳文庫)

クリスマス・キャロル (光文社古典新訳文庫)

読了。
ディケンズの原文と池先生の訳文の組み合わせが絶妙。
最初はちょっと読みにくいような気がしたのだけれど、
進むにつれて翻訳の古めかしい感じが19世紀ロンドンのイメージとマッチして、
これ以外の訳は考えられない、というくらいにしっくりくる。
たとえば前半、スクルージがマーリーの幽霊に出会った直後に考え悩む場面。


   ……考えに考え、その上さらに考えを重ねても、何がなにやらわからない。
   考えれば考えるほど、混乱は増すばかりである。マーリーの亡霊に心を
   掻き乱されてこの始末とは情けない。とくと分別して、今のは夢だ、と
   無理にも思い込むとたんに、意識は強いバネがはじけるように後戻りして、
   またはじめから同じ疑問の繰り返しだった。……


とくに変わったことばを使ってはいないのだけれど、スクルージが悶々として思い悩んでいる様子が、
繰り返しや息の長い訳文で伝わってくる。
さらに進むと、池先生ならではの「さりながら」が何度か登場。
(池先生ならでは、というのは、安易にまねをして使うとやけどをする、ということ)


圧巻だったのは、スクルージが第二の精霊とともに、現在のロンドンの町を訪れる場面。
クリスマスということで、「乾いた夏の空気と輝く太陽がどう頑張ってもかなわない勢いが
巷に満ちあふれていた」、その描写がすばらしい。
雪おろしをする人々、鳥屋、果物屋、食料雑貨店。パン屋、礼拝へ向かう人々。
長いので引用はしないが、ここの部分を読むだけで、一瞬にして19世紀ロンドンのクリスマスを体感できる。


「解説」を読んでへえ、と思ったのは、この作品が世に出た当時は、読者の関心はもっぱらボブ・クラチットの家族に集中した、というくだり。
「生活苦と闘いながら貧して鈍さず、親子兄弟が結束して、互いを思い遣る家族の姿に励まされ、希望を見出した庶民は少なくなかった。」
とある。大衆小説のパワーはすごい、といまさらながら思う。
小説に、正しい読み方なんてない。読者が読みたいように読めばいい。
偉大な大衆作家ディケンズの作品は、まとめて読んでみたいな、と思った。時間がいくらあっても足りない。