テニスと翻訳は似ている

今日は定例の早朝テニス。生徒5人にコーチひとり、運動量たっぷりで個別指導もゆきとどく、ちょうどいい人数だ。このスクールに入ってずいぶんになるけれど、最初の体験レッスンの時からずーっと、同じコーチについている。5人の生徒に対して、コーチがそれぞれにあったアドバイスをしてくれるのを聞きながら、これって翻訳学校の授業に似ているなあ、と考えていた。


テニススクールも翻訳学校も、同じ課題に複数で取り組む。週に1回とか2回とか、まずは数(量)をこなして慣れることが大事。次にお手本。そして最後に、個別のアドバイス。わたしの通っていた翻訳学校では、だいたいどのクラスでも、最終的には生徒5、6名となって(最初は15人とかいるんだけどあっという間に半分以下になる)、先生が全員の提出した課題に目を通して、授業ではそれぞれの訳文についてコメントをつけてくれた。わたしは山本光伸先生の教室に1年、宮脇孝雄先生に2年、池央耿先生に4年在籍したけれど、3人の先生に注意されたことはだいたい同じ。そして今日テニスのレッスン中に思ったのは、ここで大事だったのは、実は自分の訳文へのコメントではなく、ほかの生徒へのコメントや注意を聞いてることだったんじゃないか、ってことだ。


コーチのほかのメンバーへのコメントを聞いていると、なんと的確なことか、といつも思う。いっしょに学んでいるメンバーは、それぞれにいいところ、悪いところがあり、仲間が注意されているのを聞きながら、フンフン、それはわたしはできているぞ、とか、あー、わたしも同じだなーとか考えていて、いざ自分の番になったら、全然違う自分ならではの弱点を指摘されて、うわーっとなったりする。(わたしの弱点は、テニスも翻訳も力が入りすぎる、ということ。がんばりすぎて空回りしてしまうのだ。なんつーか、性格出てるよね。)


そこでいい感じに力の抜けているチームメートのプレーを見たり、原文に添って丁寧に訳しているクラスメートの訳文を読んだりして、ほお、となる。でもそのチームメートやクラスメートは、コーチから「もっと攻撃的に」って言われたり、先生から「訳文に面白みがない」って言われたりしていて、なるほどなるほど、となるわけだ。もちろん、テニススクールの初級クラスと、プロを目指して学んでいた翻訳学校とでは、目標が全然違うのであまり一緒くたにしてはいけないのだろうけれど、でも、テニスも翻訳も、フォームやスタイルに絶対的なモデルがあるわけではないという点では同じで、いろいろな個性のメンバーと切磋琢磨することで自分の力を伸ばしていくことができる、少人数のスクール向きの活動なんだな、と思ったのでした。どうでしょう、原田先輩?