藤田圭雄『ハワイの虹』
正月に一日だけ、鎌倉の実家に帰った。
母から、「この本、あげるわ」と渡されたのが、藤田圭雄の随筆集『ハワイの虹』。
昭和53年9月20日初版発行、発行所は株式会社晩成書房。
表紙カバーもなく、かなり古い感じの本だけれど、見返しに著者直筆のサインが入っている。
遠い親戚にあたる著者が、わたしの祖父に献呈し、祖父から母へ、母から私へと渡ってきた本、ということだ。
著者の藤田圭雄さんは、中央公論の編集者として長く出版業にたずさわるかたわら、
児童文学や童謡の発展に力を尽くし、自らも多くの児童文学作品、翻訳作品をのこした。
そういう意味ではいまの私からすれば、仕事上の、大、大、大先達、ということになる。
その人の書いた「随筆集」ということで、おせち料理の食べすぎで膨れたおなかを気にしつつ、
少しだけおごそかな気持ちになって読み始めた。
すごい。ご存命のうちに、いろいろお話をしたかった。
たとえば、こういうところ。
(ちなみに、ここで出てくる渡辺さんは渡辺一夫、中野さんは中野好夫、竹山さんは竹山道雄のこと)
わたしは今でも、もし自分がもう一度児童雑誌の編集をやるのだったら、
また、渡辺さん、中野さん、竹山さんを始め、
広く各方面の人々に原稿を求める努力をしたいと思います。
児童文学は児童文学専門家の中からだけ生まれるものではありません。
童話作家、童謡詩人といわれる人々は、それが本職であり、それに専念しているのですから、
その中から本格的な、すぐれた作品が生まれるのは当然のことです。
しかしそれと同時に、すべての文筆をとる人々も、その人が子の親である以上、わが子のために、
あるいはすべての子どものために、何かひとつはすぐれた作品を残すことは当然の義務であり、
責任だと思います。
藤田さんは編集者として四十年、川端康成と交流があったらしい。
とくにノーベル賞受賞後、川端康成がハワイに四ヶ月ほど滞在した折には、
ほとんど毎日のように会っていた、とこの随筆集には書かれている。
藤田さんはずっと、川端康成に児童文学を書いてほしいと願い、待ち続けたという。
編集者として、長い間ずっと、すぐそばにいながら、
とうとう最後まで快心の児童文学の一篇すら川端さんから引き出せなかったわたしは、
やっぱり編集者としては落第生だったかなと思っている。
晩年は日本児童文学者協会の会長や、日本児童文学会の理事をつとめた藤田さんだが、
早稲田の独文科を卒業後、百科事典の編集をしたり、芝居に熱中したり、
中央公論につとめながら、児童文学雑誌を創刊したり、と、
ご自身のフィールドを固定せず、のびのびと、やりたいことをやってきた人、という印象だ。
母の話では、とにかく人格円満で、すてきな「おじちゃま」だったそうである。
わたしは少なくとも1度、この「たまおおじちゃま」に会ったことがある。
おじちゃまみずから、「地球の病気」を読んでくれたような記憶がある。
その頃わたしは、たぶん、小学校1年生くらいだったのではないか。
子ども心に、ほんものの作家に読んでもらう、ということのすごさを感じていたように記憶している。
編集者としても翻訳者としても半人前のわたしには、
偉大な「おじちゃま」のことばは神の啓示のようにひびく。
母からもらったこの本は、大切にしなければ、と、
自宅の書棚の中の、自分の「訳書コーナー」の横に、そっと並べてみた。