こだわりつづけているということ

ある程度長く生きてくれば、どうしようもなく悲しいことや悔しいこと、
忘れられない(あるいは乗り越えられない)思い出や傷があって当然だろう。
ただ、中には、他人から見ればなぜそんなこと、というようなことに、
いつまでもこだわっている、ということがある。
わたしにとってのそれは、多くが軟式テニス(いまのソフトテニス)に関係しているようだ。


高校2年のとき、県の団体戦で優勝し、インターハイに出場した。
お世辞にも運動神経がいいとはいえない自分が激戦を勝ち抜いたのだから、
誇りに思ってもいいはずだ。
でも、この「高校2年のとき」というのが曲者だった。
わたしは団体戦メンバーの中の唯一の下級生として、先輩たちといっしょに団体戦を戦ったのだ。
先輩が華々しく引退した次の年、新チームの核となってインターハイに連続出場する。
掲げた目標は、達成できなかった。
わたしにとっての高校のテニス生活は、
「2年でインターハイ出場」ではなく、
「3年で勝てなかった」という悔恨だけが残った。


大学1年のとき、母校の顧問が転勤になり、体育会軟式テニス部をやめたばかりのわたしに、
母校のコーチの話がまいこんだ。
「3年で勝てなかった」という思いをなんとか振り払いたくて、コーチの仕事にのめりこんだ。
その頃の選手たちのことは、ひとりひとりとてもよくおぼえている。
うまい下手にかかわらず、ほんとうに全員が愛しかった。
コーチングや教育の理論的な裏づけはまるでなかったけれど、
一生懸命やれば伝わるはずだと無邪気に信じてコーチを続けていくうちに、
「3年で勝てなかったこと」を、いつのまにかプラスに転じていることに気づいた。


8年目をむかえたある日、当時の部長から電話がかかってきた。
「もうコートにこないでください」といわれた。
部員全員で話し合って決めたのだという。
先輩のやり方にはついていけない、勝つためのテニスはしたくない、
そんな話だった。
勝つためのテニスなんてこと、考えたこともなかったな……
ぼんやりと考えながら電話を切った。


この事件を、自分は乗り越えたのかどうか、よくわからない。
ただ時折、人間関係につまずいたり、教育の議論にまきこまれたりしたときに、
このときのことを思い出す。
まるで安っぽいドラマの一シーンのように、文字どおり受話器を持ったまま呆然として、
ツー、ツー、という音を聞いていたことを思い出す。


こんなことを書いてみようと思ったのは、
今日、20年ぶりに、コーチになったばかりのときの教え子と電話で話をしたからだ。
もちろん、話の内容は「テニスのおかげでいい青春でした!」というようなおめでたいものではなく、
彼女もまた、高校時代の自分のテニス生活のことを、今もなおひきずって、
こだわり続けて生きていた。
21歳のわたしがしたことを、いまさらあやまることもできず、
彼女もまた、わたしの謝罪などききたいはずもなく、
わたしたちは彼女の高校時代をただ思い出し、笑ったり、しんみりしたりして、30分ほど話をした。


そういえば、と思い出したのは、
つい先日、同じマンションに住んでいることがわかった先輩との会話だ。
テニスがうまいのはもちろんのこと、美人でスタイル抜群、某一流企業に就職を決めたばかりのその先輩は、
田舎の高校生だったわたしには、まぶしいくらい輝いていた。
みんなの憧れの的だった。
先日、先輩の家におじゃましたとき、わたしは不用意にも、
「先輩は、インターハイに行ってるんですよね」と軽くたずねた。
先輩は妙にきまじめな顔で答えた。
「ううん、行ってないよ。関東も行ってない。
だからね、わたしは中途半端なの。仕事だってテニスだって、みんな中途半端。
もっとがんばれたはずだって、いつも思ってる」
愕然とした。
こんなに何もかも持っているような、あらゆる才能に恵まれているように見える人が、
インハイに行けなかったということに今もこだわっているなんて。


先輩も後輩も、今頃はもちろん、テニスのことなんて考えずに、
明日の仕事の準備や、家事に追われていることだろう。
わたしだってもちろんそうだ。
それでも時折、何かの拍子にふっと、この「こだわり」が頭をよぎる。
過去に自分がかかわったすべての人に、ごめんなさいと言いたいような気がする。
いや、ありがとう、か、バカヤロー、か? やっぱりよくわからない。