古典新訳文庫『飛ぶ教室』

飛ぶ教室 (光文社古典新訳文庫)

飛ぶ教室 (光文社古典新訳文庫)

読了。子どもの頃に読んだように思っていたが、未読だった。
ケストナーは、『エーミールと探偵たち』『ふたりのロッテ』を愛読。
とくに、『ふたりのロッテ』は、一時期、好きで好きでたまらなかった本。
30回は読み返していると思う。

ふたりのロッテ (ケストナー少年文学全集 (6))

ふたりのロッテ (ケストナー少年文学全集 (6))

今あらためて確認。そうか、高橋健二訳で読んだのか。
子どもの頃は訳者になんて、まったく関心がなかったからなあ。


古典新訳文庫の『飛ぶ教室』は、丘沢静也さんの訳。
正直なところ、最初の40ページくらいは、どうもしっくりこなくて、
これは翻訳のせいなのか、作品のせいなのか、などと考えていた。
のだけれど、40ページを過ぎて「禁煙さん」が登場するあたりから、
訳や登場人物のカタカナ名前に慣れたこともあり、ぐんぐんおもしろくなった。


ひとたび、5人の子どもたちと、彼らをとりかこむ大人たち(とりわけ「禁煙さん」と「正義さん」)
の世界に入り込んでしまうと、簡単にはのがれられない。
会社に向かう電車の中で読んでいたのだけれど、
もう、このまま千葉だか本八幡だが、終点まで電車に乗って読み続け、
会社なんて休んでしまおう!と思った。
(ちゃんと会社には行きましたが)


子どもたちのキャラクターがみごとなのは言うまでもないのだけれど、
むしろ彼らを見守る大人たちの視線がすばらしい。
子どもが子どもとして過ごすこと、
少しずつ成長していくこと、
でも、大人になっても忘れてはいけないこと、
がきちんとかかれている。
こんなふうに大人の目線で読めるのは、
自分が大人になったからなのかもしれないけれど、
もしかしたら「訳者あとがき」にあるように、
丘沢さんの翻訳が、「さらば、猫なで声」という精神で
貫かれているからなのかもしれない。


  私たちは「子ども」や「わかりやすさ」を必要以上に配慮することによって、
  逆に、子どもを小さな枠のなかに囲いこみ、
  子どもと大人の垣根を必要以上に高くしてしまったのではないか。
  翻訳にかぎらない。
  もしも、わからないことがあれば、「わからなさ」をかかえて暮らしていけばいい。


「訳者あとがき」より。
とくに、引用の最後の一行が、がつんときた。


次は、順番どおりにいけば『カラマーゾフの兄弟Ⅰ』。
これだけ全巻そろってから読むことにして次のロダーリにすすむか、
ちょっと迷っている。
でも、『カラマーゾフの兄弟』の冒頭だけちょっと読み始めたら、
うーん、かなりひきこまれる感じ。