長時間残業問題

どこの会社でもあることなのだろうが、
わが社でもご多分にもれず、「長時間残業」を減らすにはどうしたらよいか、ということがよく話題になる。
上司はもちろんのこと、職場のリーダー格(「副編集長」と呼ばれている人々)はみな、
基本的なスタンスとして、「無制限に残業を認めると、ついだらだら働きがち」という立場をとるので、
私は常にひとりで、立ち向かうことになる。
「仕事量が多すぎる」と。


絶対やらなくてはならないこと、やっておいたほうがよいこと、やりたいこと。
この3点のうち、通常の勤務時間は最初の「絶対やらなくてはならないこと」をこなして終わる。
何時間か残業をして、やっと、「やっておいたほうがよいこと」に手をつける。
明日でもいいかな、でも明日は明日で忙しいだろうし、これやっておかないと、あとですごく困るだろうし、
などと考えて、結局、残業をしてなんとかこなす。
……新しい企画を考える、参考図書を読む、ご無沙汰している著者にご機嫌うかがいの手紙を書く、等々……
編集者としてぜひ「やりたいこと」をやる時間など、まったくとれない。


「優先順位をつけて、要領よく」「時間管理をきちんと」
などといわれると、はいはい、わるうござんした、と開き直りたくなる。
「現在の職場のだれ一人として、だらだら働いてる人なんかいないと思いますけど」と言ったら、
「特定の人間の話をしてるんじゃない、制度の話をしてるんだ」と猛反発をうけたけれど、
だれもだらだら働いていないのに、みな長時間残業をしているのだとしたら、
やっぱり仕事量が多すぎる、ってことじゃないだろうか。


長時間働くことがいいことだなんて、今の時代、だれも思っちゃいない。
それでもやることになってしまうのは、仕事の絶対量が多い、これ以外に何の理由もない。
はたして管理職は、部員全員の抱えている仕事の総量とそれぞれの能力を、正確に把握できているんだろうか。


まったく関係ないけれど、
今日、夜9時過ぎにひとりで自転車を飛ばしていたら、
ふと、3年前に亡くなった妹のことを思い出し、涙が出てきた。
妹がいないっていうのに、なんで世の中はまわっているんだろう、
妹がいないっていうのに、なんで私はトーストを焼いたり、国語教育の未来について考えたり、
梨の皮をむいたり、くだらないことで笑ったり、怒ったり、しているんだろう。
妹がいないっていうのに、妹はもう、トーストを焼いたり梨の皮をむいたり、わたしといっしょに笑ったり怒ったりできないっていうのに。
とてもとても大好きな、大切な大切な妹だったので、
ほんとうに脈絡なく突然、こんなふうに涙が出てくることがあるのだった。


自転車が家につく頃には涙も止まって、
ブログを書き終えた今、さて、梨の皮をむこうかな、などと考えている。