国語の教科書

中学・高校生のころ、学校の「授業」には関心が薄かった。
当時の人生最大の関心事は「好きな人」のこと、次が部活だった。


仕事柄、国語の教科書について真剣に考えなくてはならないことがある。
たとえば自分が中学生のとき、どんな教科書を使っていたか。
ほとんどおぼえていない。
当時のあこがれの人のジャージのデザインは、しっかりとおぼえているのに。


それでもおぼろげに思い出すのは、国語の教科書を先生から受け取るとすぐ、
「物語」を拾い読みしていたこと。
なんだか「正しい」お話ばっかりで退屈だなあ〜と思ったような記憶がある。


高校生のときは、「山月記」「こころ」「舞姫」にしびれた。
史記」の中の、「虞や虞や汝を如何せん」とか、
「こころ」の「精神的向上心のない者はばかだ」
なんていうせりふを仲間内でパロディーで使うのがはやった。
ああ、やっぱり「国語」は好きだったんだなあ。


ところが、自分自身の体験と切り離して考え始めると、「国語の教科書」は突然、
正義の仮面をかぶった圧迫感のある存在としてわたしに迫ってくる。
ろくでなしのわたしを更正させるべく、じっとりと執拗にわたしにまとわりついてくる。
いらない。あっちへいけ。


夜中に書いているせいか、文章が支離滅裂になってしまった。
酔っ払ってるわけでもないのだけれど。
あとで読み返したらいやになりそうだな。と思いつつ、とりあえず、確認してしまおう。
えいっ。