古典新訳文庫大人買い

昨日終日会議で出勤だったため、今日は代休。
全冊読破をめざしていたはずの古典新訳文庫が、ここ数ヶ月、購入すら滞っていたことに気づき、
未購入の9冊をアマゾンで一気に大人買い!!
(ただし、『アンナ・カレーニナ』は、全巻そろってから購入する予定。
 途中まで読んでしまうと次巻を待つのがつらいので……)
それにしても、こんなふうに大人買いしても、全部で6000円代、というのが、
この古典新訳文庫のすごいところ。
こんな金額で、世界中の古典の翻訳が読めてしまうなんて、ほんとうにありがたいことだ。


読みかけの『エマ』は、同居人の本棚から拝借した中央公論版で、阿部知二の訳。
1965年に訳されたものだから無理もないのだけれど、ちょっと訳が古い感じがする。
で、以前、『高慢と偏見』の訳がとてもよかった(というか、わたしには相性のよかった)中野康司の訳も出ているので、
こちらに変更しようかと思う。
ダイエットをかねて、吉祥寺まで自転車で出かけようかな。
せっかく休みをとったのに、どうも家にいると仕事のことが気になり、
つい、仕事の電話をかけてしまったり、調べものをしてしまったりする。


現在の仕事は、チームで動いている大きなプロジェクトなので、
個人プレーとはちがった大変さがある。
そのことでイライラしたり、ストレスがたまったりすることも多々あるのだけれど、
一方で、大きなプロジェクトならではの醍醐味もたくさんある。
そのひとつが、外部の著者(作家)やデザイナー、画家との出会いだ。
大きなプロジェクトだから、それなりに予算もつくし、相手に対してもインパクトがあるので、
今までは恐れ多くてとても頼めなかったような人と、いっしょに仕事をする機会に恵まれたりする。
わたしはミーハーなところもまあ、あるけれども、いわゆる「有名人好き」ではない。
でも、実際にいろいろな人と仕事をしてみると、やっぱり、その分野で「一流」と言われている人は、
うーん、ちがうなあ、さすがだなあ、というのが、正直な実感だ。
編集者としてもっと実績をつんで腕があがってくれば、
「埋もれた才能」の発掘、みたいなことに情熱を燃やすようになるかもしれないけれど、
今のところは、「一流」といわれる人といっしょにお仕事をすれば、
「うわあ、やっぱりすごい」と思いつつ、必死にその人のことやその分野のことを勉強して、
なんとかその人のよさをひきだせるようにがんばる、というのが、わたしの現在の位置。


というわけで、今日も代休だというのに、とある画家さんにお電話をするべく、
調べものをし、心の準備をし、とやっているうちに午前中が過ぎ、
午後いちばんで電話をしたら、あっさりと引き受けてくださり、
うわあ、この人といっしょにお仕事できるんだあ、と思ったら、軽い興奮状態で、
ほかのことに手がつかなくなってしまった。
だいたい、わたしは電話が苦手で、重要な電話であればあるほどあがってしまい、
言葉遣いが異常にていねいになって、武士みたいなしゃべり方(「〜つかまつってござる」みたいな……)に
なってしまう。きっとくだんの画家さんも、おかしな人だなあ、と思ったに違いない。情けないかぎり……。
何度かお電話で話したり、実際にお会いしたりして、「顔見知り」みたいになれるともうだいじょうぶなんだけど、
それまでが、どうも、ねえ〜。
最近の若い人たち(とくに女性編集者)は、こういうファースト・コンタクトの電話や挨拶がすごくうまくて、
ほんとうに感心してしまう。まったく、自分は彼女たちより何年余計に生きてるんだ、と思うと、もう、しょんぼり。


まあ、いいや。それはそれで、人それぞれ得意なところもあれば、苦手なところもあるさ。
では、ダイエットもかねて(←しつこい!)吉祥寺までおでかけ。
行ってきます!