ipodと本を3冊

今日はダイエットもかねて、歩いて吉祥寺まででかけた。
玉川上水から井の頭公園へ抜ける道は、ほんとうにここは東京か、と思うくらい木々や畑が残っている。
ゆっくり歩いて50分くらい。散歩にはちょうどいい。
ヨドバシはあまりにうるさいので、以前からお世話になっているラオックスへ行き、ついに念願のipod nanoを購入。
店員さんがとても親切で説明もうまく、
ウォークマンにカセットテープを入れて聴いてましたから」というのを聞いて、おお、同世代、と思い、
ipodはものすごくよくできていて、時代は変わったんだということを実感しますよ」と、巧みなトークにのせられ、
「考え中」だったはずの同居人も購入。


その後、「ちょっとのぞくだけ」の予定で啓文堂へ。
「のぞくだけ」ですむはずもなく、結局、読めもしないのに3冊購入。
鴻巣友季子『やみくも』(筑摩書房)、ねじめ正一荒地の恋』(文藝春秋)、辺見庸『記憶と沈黙』(毎日新聞社)。
荒地の恋』が前から気になっていたのはもちろんなんだけど、今日はその横においてあった、
北村太郎未刊行詩文集、みたいな本が気になった。1冊しか置いてなくてその本があまりきれいじゃなかったので購入を見送ったのだけれど、
北村さんが書いた「訳者あとがき」や、子ども向けの本の解説なども載っていて、
荒地の恋』を読んで、これまでも好きだった北村さんをもっと好きになったら買ってみようと思う。

  
辺見庸さんのコレクションが出ていたのは知っていたのだけれど、なんとなく手にとらずにきていた。
今日何気なく手にとったコレクションの第1巻、最初のページを開いて、がつんときた。


  だれにでもなく、自身にくりかえしいいきかせなければならない。
  あらためて記すまでもないことだけれども、残りの生を意識し、ここにあえて書きおく。
  みなと別れよ。みなからもっと離れよ。
  人をみなといっしょになって嘲ってはならない。
  その彼か彼女をみなといっしょになって指弾してはならない。
  その彼か彼女が疑いもなく悪ければわるいほど、みなと声をひとつにして難じてはならない。
  みなとともに叫んではならない。みなとともに祈ってもならない。
  みなと同じ声で泣いてはならない。みなといっしょに殺意をいだてはならない。
  (9ページ)


以前、病床の辺見さんからメールをいただいたことがある。
療養中のため返事が遅れたことを詫び、ご自身の文章が教科書のような形で若い人たちに読まれることを嬉しく思う、というような内容だった。
ほんとうに短いメールだったけれども、やさしさときびしさが同時に感じられた。
そのような人のコレクション冒頭の文章だからこそ、がつんときたのだと思う。
ほかの人にこのようなことを言われても、ふーん、おやじの説教か、と思って聞き流してしまうかもしれない。


じつはこのコレクションを手にとったのは、わたしが今、ある児童文学作家のコレクションをつくっているからだ。
個人選集がふつうの出版社から出るということは、やはりその著者に常人には到底及ばぬような魅力、人をひきつけるパワーがある、ということで、
辺見庸さんと児童文学作家ではまったく違うのだけれど、
コレクション第1巻の冒頭に何をもってくるのか、ということについていえば、おおいに参考になった。
これを置いたことで、わたしは『記憶と沈黙』を購入したのだし、『記憶と沈黙』が期待どおりにおもしろければ、
きっとわたしは第2巻以降も、続けて購入するにちがいないのだから。


家に着いたら、「みやびブックレット」の最新号が届いていた。今回の特集は「俳句のこころ」。
読みたい本、読まなければならない本が山ほどある。そう思えることは、かなり幸福なことなのだろう。


風邪ぎみなのに寒い中を1時間も歩いたせいか、同居人が熱を出した。
夕食の支度をひとりでしなくてはならない。
ipod徳永英明を聴きながら生協へ。うーん、これは快適。
このままお料理もできるな。
結局、昨日の「Vocalist1・3」に続き、「Vocalist2」も購入。大人買い、だね。