小鷹信光氏映画&講演

今日は「ミステリマガジン」に告知されていた、小鷹信光氏の講演に行ってきた。
アメリカ文学会東京支部という、名前はかたいイメージの団体が主催だけれど、
「会員以外の参加も可。」となっていたので、勇気を出して行ってみることに。
一人じゃ不安だからと職場の辞書の人と待ち合わせをしていたのだけれど、
直前になって同居人が「ぼくも行こうかな」と言い出し、
結局、講演の前の小鷹信光監督・脚本の自主制作映画の上映から二人で出かけた。


この映画が、すごかった。
かなり本格的なドキュメンタリーで、1時間半、息をつめて見入る。時々、ため息。
「檻を逃れて ある日系アメリカ人の53年の生涯」というタイトルのこの作品は、
1997年の独立記念日に、アメリカのキングマンという小さな町で、
ベトナム帰りの53歳の日系人が突然、ライフルで二人の白人を射殺、三人に重軽傷を負わせるという事件を扱ったもの。
日系アメリカ人「ニシ」はなぜ、殺人者となったのか―
小鷹さんは淡々と、事件の関係者や「ニシ」を知る人たちへのインタビューを続けていく。


わたしは「ニシ」その人の生涯よりも、彼の生きていたアメリカ社会、
彼のまわりのごく普通のアメリカ人たちの戦争観に、衝撃を受けた。
ものすごく昔の映像のような気になるけれども、これは、1990年代の出来事なのだ。
小鷹さんの著書『私のハードボイルド』の中の、この映画についてふれた言葉が重い。


  ……2001年には春にオレゴンネヴァダ取材、そして9月はアリゾナ
  このアリゾナ・ツアーから帰国して四日後にあの「9・11」が起こった。
  衝撃の映像をリアル・タイムで目撃したとき、私はいかなる機会があろうとも、
  この映像を二度と見るのはやめようと決意し、いまも実行している。
  脳に封印することで、「記憶の風化」を阻止せねばならないと考えたのだ。
  (314ページ)


たしかに、映画の上映が始まったら、小鷹さんは、席を外していた。


講演も期待していた以上におもしろかった。前回の若島さんとの対談と重なる部分もほどんどなかったし。
ミステリマガジンや朝日新聞に告知が出たせいか、私のような「一般人」の参加者も結構いたようだ。
講演のほうも映画同様、とにかく小鷹信光という人の、自分がこだわったことに対する執念というか、迫力に、
ただひたすら圧倒されてしまった。この人は、すごい人だ。


講演の前半は、「ハードボイルド」という言葉をめぐる書誌学的な内容。
アメリカでの使われ方の変遷と、日本での受容史だが、
「自分のは専門的ではない」と言いながらも、自信満々だった。
ほとんどが実物にあたっての手作業の調査に、絶対の自信を持っているのだろう。
後半は、村上訳「ロング・グッドバイ」について。詳しくは来月号の「ミステリマガジン」をお楽しみに、という感じだったが、
どうやらかなり辛口の批評になっているらしい。(版元は同じ早川書房だし、何しろ相手はかの村上春樹、どの程度辛口なのだろう……)
清水俊二は、既にハードボイルドではなくなっていたあの作品を、日本の読者のために、ハードボイルドの文体で訳した」
というような話がちらっとでた。このあたりのことを、もう少し詳しく聞きたい。来月号の「ミステリマガジン」が楽しみだ。


講演終了後、同居人から、書籍や雑誌の上でしか知らない作家さん、評論家さんに、紹介してもらい、どぎまぎする。
大きな会社の社長だろうが、政治家だろうが、あまりびびらないのだけれども、
さいころからの憧れの「本を書いている人」に会うと、(編集者のくせに)いまだにどきどきする。舞いあがる。


同居人は、そのまま会場に残って懇親会へ。わたしは部外者なのでひとりで帰宅。
小鷹さんの『私のハードボイルド』をあちこち読み返しているうちに、
ふと思いついて、藤田圭雄の『ハワイの虹』(http://d.hatena.ne.jp/mari777/20070102/)をひっぱりだす。
とりあえず、本の周辺でうろうろすることができるようになったものの、残された時間は思っていたほど長くはない。
会社の中の些細なことで、イライラしたりくよくよしたりする暇などないのだと、あらためて思う。
よしっ、紅茶でもいれて、読書にはげもう。
(……と思ったところで、同居人から電話。今から帰るとのこと。何となく声に元気なし。どうしたのかな。)