ブロンテ『ジェイン・エア』

ジェイン・エア(上) (光文社古典新訳文庫)

ジェイン・エア(上) (光文社古典新訳文庫)

ジェイン・エア(下) (光文社古典新訳文庫)

ジェイン・エア(下) (光文社古典新訳文庫)

昨夜、というより今朝5時、読了。
ああ、このままだと朝になるな、徹夜になるな、と思い、
どこかで止めなければと思いながら、
あまりのおもしろさにとうとう、最後まで読んでしまった。


上巻はすぐれた少女小説、下巻はすぐれたロマンス小説。
今回、小尾さんの訳で再読してみて一番感動したのは、
ストーリー展開でも人物描写でもなく、
ましてやフェミニズムポスコロの観点からの再評価でもなく、
情景描写のみごとさだった。


もちろん、最初に書いたように、夜を徹して読み続けてしまうほどの、
手に汗にぎる、どきどきはらはらのストーリー展開ではある。
例によって女主人公に思いきり感情移入するわたしとしては、
この、「あまり美しくない勝気な少女」が幸福を勝ち得るまでは、
のうのうと床につくわけにはいかないのである。


フェミニズムポスコロの理論にのっとって読むなんていうのは、
わたしの流儀にはあわないのだけれど、
たとえば大学の英文科の夏休みの宿題くらいなら、「ジェイン・エアにおける西インド諸島の意味」とか、
シャーロット・ブロンテの女性観」なんていうタイトルでレポートが書けるかな、と思うくらい、
そういった要素がわかりやすくもりこまれているようにも思った。


というわけで、とにかく楽しく読んだのだけれど、
小尾さんの訳のおかげなのか、わたしが大人になったからなのか、
あるいはイギリスの風土について、わたしが特別に思いいれがあるせいなのか、わからないけれど、
(たぶんそのすべてが複合的に作用しているのだろう、)
今回は全編を通じて繰り返し描かれる、ジェインが訪れたそれぞれの土地の風景描写のすばらしさに、
「うーん、『ジェイン・エア』は古典だ、名作だ」とうなってしまったのだった。


次は、池先生訳のディケンズ
『クリスマス・カロル』はもちろん再読。
池先生訳なので、いやでも翻訳を気にしながらの読書になるだろう。


昨日、DVDを2本観た。

グッバイ、レーニン! [DVD]

グッバイ、レーニン! [DVD]

クジラの島の少女 [DVD]

クジラの島の少女 [DVD]

どちらも、失われつつある何かを守ろうとする人の物語。
(この2本を続けて観たのは偶然だけど。)
「グッバイ・レーニン」のほうは、コメディー仕立てになっていて、
実際の映像などを使っていたりして、なかなかよかった。
ネタバレになってしまうので詳しくはかけないけれど、
はっきりと「謎解き」をしないで、観ている者の想像にまかせるような部分があり、
そこがいまどきの「わかりやすい」感動映画と違ってよかった。
「クジラ」のほうは、これまたフェミニズムだの何だのといったみかたができそうな作品だけれど、
何といっても主演の女の子がかわいかった。
ちなみにこの作品の原題は、Whale Rider だそうだ。
この映画で、「クジラの島の少女」という邦題は、ちょっとどうかな。