『黒猫/モルグ街の殺人』

2日の土曜日に読了。

黒猫/モルグ街の殺人 (光文社古典新訳文庫)

黒猫/モルグ街の殺人 (光文社古典新訳文庫)

読んでみてわかったのだが、わたしはどうやらポーの短編を、子ども向けの翻訳でしか読んでいなかったようだ。
「黒猫」にしても、「告げ口心臓」にしても、こんなに観念的な話だったかしら、と思いながら読み進めた。
名訳者・小川高義さんは、おそらく原文の風合いにあわせ、古めかしい言葉遣いや言い回しを多用していて、
それはそれでポーの作品にはぴったりあっているのだろうけれど、子どものときの印象が強すぎたせいか、
文体に慣れるのに、少してこずった。


やはり「黒猫」のラスト、壁が崩れてくるシーンは圧巻。
10年以上前、中学で国語教師をしていたとき、授業で「黒猫」を読んだことがある(もちろん、子ども向けの翻訳だったはずだ)。
試験の前や後の中途半端な時間で、なんとなく自分もやる気が出なかったので、
「聞きたい人だけ聞けばいいよ〜ただし、聞いている人のじゃまになるからおしゃべりは禁止〜」などといい加減なことを口走り、
クラスの半分くらいは聞いてる、半分は寝ている、というような状態で「黒猫」を読み始めた。
読んでいるうちに、寝ていた子も一人、二人とお話に集中しはじめ、反抗するように机に突っ伏していた子も、
話が佳境に入ってくると、びくん、と肩を震わせたりして、最後にはほぼ全員が話に聞き入っている、という、
教師冥利につきる体験をさせてくれたのが、この「黒猫」だ。
そういうわけで、「真理センセ」のお話タイムは、なかなか人気があったのだが、
今、思い返してみると、こんなに「教育的配慮」に欠ける話を、よく中学校の教室で読んだりしたものだと、
我ながら呆れてしまう。
そもそも貴重な授業時間に、「寝ててもいいよ〜」なんて、まじめな保護者が聞いたらつるし上げだ。
さらに子どもによる猟奇的な事件が起きているというのに、猫の虐待、殺人、死体隠蔽、これほどに不道徳な要素が満載の小説を、
学校の授業で読むなんて、教育委員会の面々や、良心的な教育学者のセンセー方が聞いたら、
ほんと、クビ、は大げさだけど、訓告処分くらいにはなったかも。


でも、その後、教科書の関連作品や、他社版の教科書などから面白そうな作品を選んで、教室で読んだりしたけど、
「黒猫」が一番評判が良かったような気がする。
さらにいうと、授業でいろいろな詩を紹介した中で、
生徒から「あの詩、もう一度教えて」といちばん言われた作品は、
(ほんとうは「詩」とはいえないんだけど、)
漫画「エースをねらえ!」に出てくる、「庭球する心」ってやつだった。
茨木のり子の「自分の感受性くらい」と、いい勝負だったなあ。


「黒猫」のほかに印象に残ったのは、「ウィリアム・ウィルソン」。
どういうオチになるのか、かなり前のほうでわかるにもかかわらず、
かなりドキドキハラハラで、最後までひっぱる。
とくにイギリスの古い寄宿舎などの舞台設定が私好みだった。


ただ、やっぱりなんとなく、短編集っていうのは読後感があっけないというか、
それなりに楽しめるんだけど、「はい、おしまい、次」って感じが、ちょっと苦手。
古典新訳文庫の次も短編集「海に住む少女」なので、別の作品をはさもうかと思ったのだけれど、
もたもたしていると、どんどん次が出てしまうので、がんばって順番どおり読み進めることにした。


で、読み始めたのだけれど、これは、なかなか面白い。
こういうファンタジー風のものは、「短篇」という形が向くのかもしれない。