古典新訳文庫『マダム・エドワルダ/目玉の話』

マダム・エドワルダ/目玉の話 (光文社古典新訳文庫)

マダム・エドワルダ/目玉の話 (光文社古典新訳文庫)

本日電車の中で読了。
それにしても、車内読書にはきわめて不適切な本だった。
20代後半に生田訳で「眼球譚」を読んだときと同様、
読んでいるうちに気分が悪くなり、軽い貧血をおこした。
今日、会社の後輩と話をしていてわかったのだけれど、
本を読んだり映画をみたりするときに、
登場人物に感情移入するタイプとそうでないタイプがあるらしく、
私は明らかに前者なのだった。


古典新訳文庫の中条省平さんの訳は、ことばの選び方がニュートラルで、
わかりやすく日常的な語彙をおそらく意識的に使っているために、
生田訳ではなんとなくもやもや〜っと気持ちが悪かったのが、
かなりリアルに情景を思い描くことができて(しまい)、
だんだんその世界の中に自分が入り込んで逃げられなくなってしまった。


「目玉の話」については、中条さんが解説でも書いているように、
物語中盤の精神病院でシーツがものすごい轟音をたててはためく場面が圧巻。
以前にペンネームで、ゴシック風のポルノ小説を訳したことがあるのだが、
ゴシックとエロティシズムは、かなり相性がよいようだ。


「マダム・エドワルダ」は初めて読んだ。
完成度は高い作品なのだろうが、いまひとつはいりこめず、
別世界のできごとのような気がした。
なぜ「目玉の話」は具合が悪くなるほどはいりこめるのに、
「マダム・エドワルダ」ははいりこめないのか。
あとがきには、「マダム・エドワルダ」はヘミングウェイを思わせ、
「目玉の話」は谷崎潤一郎の「卍」を思わせる、と書いてあり、
少しだけ「なるほど」と思った。
(谷崎は好きだけど、ヘミングウェイは苦手です)


電車の中で読むのがはばかられる理由のもうひとつは、
全ページにかなりやばい語彙が出てくる、ということ。
私は電車の中で本を読んでいる人を見かけると、失礼だとは思いつつ、つい覗き込んでしまうので、
隣の座席の人が軽い気持ちでのぞきこんだら、ぎょっとするに違いない、とびくびくしてしまった。
バタイユなんです、これ」と声に出して言い訳したいような気分だった。


次はケストナー飛ぶ教室』。
がんばらないと、10月分の4冊もまもなく刊行されてしまう。間に合わない!