いったん下書きにした

今日、編集プロダクション時代からの友人と電話で話したことがきっかけで、自分にとってトラウマになっているいくつかのできごとについて、ぐだぐだとブログに書いたのだけれど、やはり内容的にナイーブなのと、なんだか情けない気持ちになってきたので、公開するのはやめて、いったん下書きにした。消しちゃってもいいんだけど、毎日書く、って決めたので、自分への言い訳としてとっておく。今日の運動は、ジムストレッチ30分、ジム筋トレ40分。毎日少しでもいいから運動し、少しでもいいから文章を書く。がんばって続けよう。

東京は雪

新しい生活のルーティン、お弁当と運動着を持って仕事場へ。二人ともいわゆる作業仕事だったので、黙々と仕事をする。以前の職場の後輩に質問をしていたのだけれど、例によって明快かつ的確かつ丁寧な返事がくる。はいはい、わかりました、仰せのとおりに、という感じでさくさくと作業が進む。と、同居人が、「雪降り出したんじゃない?」と突然言った。え、雪? と窓を開けると、ほんとうに、雪が降っている。「あまり積もらないらしいけど、寒いよね」と同居人が言う。仕事場のアパートは、ほんとうに寒い。備え付けのエアコンは時折ぐおおおお、と音がするわりにパワー不足。このままでは風邪をひいてしまう、久我山の自宅で仕事したほうがいいかもね、などと話しながら、意外にこの不自由で貧乏くさい感じが気に入っている。

 

お昼はコタツで食べるので、同居人が少し早めにコタツの電源を入れてくれた。わたしはいそいそとマグカップでインスタント味噌汁を用意する。「寒い、寒い」と言いながら、コタツに入って味噌汁のお湯が沸くのを待つ。窓の外は雪。このままだと結構積もるかも、吉祥寺まで行くのは無理かもね、などと話しながら、お弁当を食べた。お行儀悪いけど、と言いながら、寒いので首までこたつに入って暖まっているうちに、当然ながら眠くなってきて、同居人はいびきをかいて眠ってしまった。

 

20代の終わりか30歳くらいの頃の雪の日のことをぼんやりと思い出した。朝起きたら雪が降っていて、なんだかもう、このまま死んじゃってもいいかな、と思った。それは、世をはかなんで、とか、誰かをうらんで、とかではもちろんないし、いわゆる幸せの絶頂で、このまま死んでしまいたい、というのとも違う。単純に、こんなきれいな雪の日に、ふわっとそのままこの世から消えてしまえたらいいかな、って気分になったということ。

 

雪の日のひとこまを描いたよしもとばななの「バブーシュカ」という短編小説がとても好きで、教科書の編集会議でもめちゃくちゃ推したんだけど、結局、載せてもらえなかった。気づいたら他社に先を越されてしまい、がっかりした記憶がある。編集委員の先生方(当時は全員男性だった)はいまひとつぴんとこなかったようだけれど、わたしはこの主人公の気持ちがすみずみまでわかる、と思った。ああ、もう一度読んでみたいな。本棚のどこかにあるかな。

 

元同僚たちから「雪で電車が遅れてる」「タクシーの行列が不安」という嘆きの声が届く。そうだった。会社勤めの人たちは、こんな時間から雪にふられたらたまらない。センチメンタルな気分になってる場合じゃないのだ。仕事場からそれなりに苦労して帰宅。傘がなかったので結果的にびしょ濡れ、大急ぎで熱いシャワーを浴びて着替えた。ニュースでは東京の大雪とともにコロナ感染者数の倍増を伝えている。

 

これから1時間ほど、OB会の仕事をしてから寝よう。

今日の運動はスクワットとレンジ、14回を2セットのみ。雪でウォーキングはお休み。

 

昭和な喫茶店のホットケーキ

今日は税務署に「開業届」を出しに行った。ネットで必要事項を入力するだけで簡単に申請用紙の準備ができる。プリントアウトしてマイナンバーを記入し押印すればOK。なんて簡単なんだーと感動しつつ、ちょっと不便なところにある管轄の税務署へ。都会のど真ん中なのに昭和な風情のある商店街を抜け、住宅地をトコトコと歩いた先に税務署はあった。予想に反してガラガラで、そのへんにいた人に「開業届を出しにきたんですが」と言ったら、「あ、じゃ、そこの窓口に出して」と言われて、あっという間に受領。なんて簡単なんだー。まあ、考えてみれば開業の届を出しただけで、実際に確定申告だのなんだのという面倒な作業はこれからだからね、よくわからないけどちゃんと領収書をとっとくとか、カードの支出の内訳を控えておくとか、いろいろ、気をつけないと。約20年ぶりのフリーだから、いろいろ忘れてる。

 

もう3時だというのにお昼を食べていなかったので、駅近くの古いビルの2階のある喫茶店に入った。みるからに、古い。カウンターの中には疲れた感じの中年の女性がいて、そこそこ広い店内には常連らしきおじいさんと年齢不詳な感じの女の人がいるだけ。常連のおじいさんはちょっとぼけているらしく、大きな声で何度も同じ話を繰り返している。ママさんはへーそうなの、それで、まあ、大変ね、と、適当に受け流している。

 

ホットケーキとコーヒーを注文した。美味しそうな匂いがしてきたので、そろそろくるかな、と思ったけど、なかなかこない。ずいぶん待ったところへ、おばさんがやってきて、「ごめんね、おばさんホットケーキ焦がしちゃって、失敗しちゃったからやり直ししてるの、もうちょっと待ってね。しかも、2枚重ねじゃなくて、1枚の大きいのにしたから。味はおんなじだからね」という。急いでいるわけではないので、「あ、だいじょうぶです、まってます」と返事をして、さらに数分、辛抱強く待って、やっとでてきたホットケーキは、たしかに2枚重ねじゃなくて1枚の大きなお好み焼きみたいなものだった。たっぷりバターをぬって、シロップをかけていただいた。子供の頃、家で焼いたホットケーキミックスを使ったホットケーキの味。たしかに、見た目はともかく、味は悪くない。コーヒーは相当美味しい。西日のあたる商店街をながめながら、この30年ほどは、ずいぶん一生懸命仕事をしてきたなあ、これから先は、どんなふうに仕事をしていくことになるのかなあ、と感慨にふけったりした。

 

吉祥寺に戻り、ヨドバシでairpodsを買い、ジムに行く。昨年末から通い始めたこのジムは、24時間営業の年中無休、月会費が安いのが売り。サウナやお風呂はないし、レンタルタオルすらないので、毎日通っていると洗濯物がどんどん増えてたいへん。でも、「部活と同じ、毎日やるもの、休むのは体調が悪いときだけ」というマイルールが案外わかりやすく、自分には合っているようだ。NetFlixでエノラ・ホームズを最後まで観た。原作がYAと聞いてなるほどと思う。10代の女の子たちを励ますような冒険物語で、本家ホームズとはずいぶん異なる価値観でつくられている。

 

フェミニズムとの付き合い方については完全に自信喪失しているので、ちょっと書きにくいんだけど、ここはツイッターじゃなく個人ブログだし、そんなに大勢の人が読んでるとも思えないので笑、少し書いてみる。熱血運動少女だったので、はじめてフェミニズムらしきものに触れたと実感したのは、大学4年のとき。「オゾン・イングリッシュ・セイ」という、表参道にある謎の英会話学校に通っていたのだけれど、そこにリン先生というショートカットの素敵な先生がいた。たしか、印象的な自己紹介をする、というような内容のレッスンで、I'm〜.という形で自分を表現しましょう、ということになった。そのとき、リン先生は、じゃあ、私が最初に、と言って、I'm independent.と言ったのだ。今なら誰も驚かないだろうけど、1980年代の日本の英会話学校で、若く小柄な中国系アメリカ人女性がこう言ったとき、その場にいたほとんどの人が、キョトン、としていたのをよく覚えている。でもわたしは、かっこいいなあ、と思った。ただ、自分もそう言えるようになりたい、と思うまでには、まだあと何年もかかったし、いろんなことを経験する必要があったけど。

 

うーん、こんなことをダラダラ書いているのは、間違いなく今読んでいる本の影響だ。評論家というのはほんとうにすごいなあ、と思いながら読み進めている。わたしの中にぼんやりあったもやもやした思いというか、思念、妄想、感情のかたまり、などと同種のものを分析して、あの手この手で言語化してくる。わたしは評論には昔から苦手意識があるのだけれど、すぐれた評論は、「そうそう、それが言いたかったの」と思わず言いたくなるような書きぶりで、論じられている対象の作品やジャンルについてあまり詳しくなくても、面白く読めてしまうものなんだなーと改めて思う。

 

さて、では今日はもう寝ます。読書中の本、小谷真理『性差事変』、視聴した映画、『えノーラ・ホームズの事件簿』。運動は、外ウォーキング20分、ジム筋トレ30分、トレッドミル40分。

 

 

ちょっとうれしかったこと

今日も井の頭のアパートでお仕事。昨年から少しずつ進めていた翻訳仕事をなんとか仕上げて、恐る恐る、「恩師」というべき相手に送信。ほどなく、「はい、こんな感じで問題なし」という返事がきたー! タイトルは「ちょっとうれしかったこと」だけど、ほんとうはめちゃくちゃうれしかった。(あとでゲラになってから真っ赤に直されるかもしれないけど。)

 

フリーになったら土日に休む必要はないんだよなあ、ということで、とりあえず毎週水曜日をオフにしようと考えている。同居人もいっしょに、と話していたんだけど、明日はいきなり前職の職場へ「出社」するのだそうだ。ひとりで近くの温浴施設にでもいって、ゴロゴロしながら本を読もうかと思っている。土日よりだいぶ安いからね。ちょっとした贅沢。

 

全然痩せないけど年末から週5ペースでジムに行っている。トレッドミルで歩いている間、退屈なのでNetflixで映画を観てるんだけど、これがなかなか快適。というか、面白くてやめられないので、自然に運動時間が延びる、という予想外の事態に。これでなんとか「毎日運動」が定着してくれればいいんだけど。

 

というわけで、今日の運動は、外ウォーキング30分、ジム筋トレ30分、トレッドミル40分。

明日は休みだー。

 

OB会記念誌

今日もゆるゆるとお仕事。井の頭のアパートはほんとうに寒い。狭い。古い。でも、窓からは小さく空が見えて、時々遊んでいる子供の声がする以外は静かで、なかなか居心地がよいのだ。翻訳のお仕事がひととおり終わったので、明日は見直し。

 

ついうっかり流れで、OB会の記念誌の編集の手伝いを引き受けてしまった。ほんとうはもっと早く刊行できるはずだったのだけれど、コロナもあったし、私を含む編集スタッフ(当然全員ボランティア)が多忙だったこともあって、今、初校ゲラを読んでいる。こういう冊子なので、原則として直さない、というつもりで進めているのだけれど、やっぱりいろいろ、気になってしまうのだ。それにくわえて、このOB会は私にとってかけがえのない場所で、校正をするために読んでいたはずなのに、ぐっときてしまって冷静に読むことができない。高校3年間はいうまでもないけれど、卒業後、19歳から27歳までの9年間のかかわりがとても重く、切なく、あのときどうしてあんなことになったのだろうと思い出し、考え込んでしまう。もういい加減にこの事件からは解放されたいのだけれど、今でも時折思い出してねっとりとからみつくように私を苦しめる。

 

さ、元気を出して、少し読書をしてから寝ることにしよう。読書中の本は、小谷真理『性差事変』(すごく面白い!)、今日の運動は、外ウォーキング60分、ジム筋トレ30分、トレッドミル30分。トレッドミル走行中にNetflixで視聴中の映画は、『エノーラ・ホームズの事件簿』。

これまでのお仕事(勤め人編)

今日は仕事始め。同居人も仕事場デビュー、ということで、二人で井の頭のアパートに出かけた。古い木造アパートはとにかく寒くて、とくに足元がしんしんと冷える。お昼に外出した際にホッカイロを買ってきて足裏にペタリ。かなり改善された。寒いということをのぞけば、机とヨギボーしかないこの部屋は、仕事に集中できるという意味でベストな環境。久しぶりの翻訳仕事、まあまあの進み具合。

 

気分的に余裕があるので、これまでのお仕事人生を振り返ってみようと思う。大学時代のアルバイトやフリーランスの頃のちょっと変わったお仕事はまたの機会にゆずることにして、まずはフルタイムの勤め人としてのお仕事の変遷を。

 

大学を卒業したのは昭和の終わりが近づきつつある1986年。バブルの真っ只中だった。大手商社に縁故入社して、いわゆるお茶汲みOLを2年。所属はお菓子の材料の輸入を扱う部門で、女性社員の仕事は基本的に男性社員のアシスタント。ただ、「輸入受渡業務」という、船積書類の準備や保険料の支払い、倉庫への注文などの一連の事務作業は、女性社員に委ねられていて、自分で判断する機会はほとんどなかったものの、どうしたらミスなく効率的に仕事を進められるかを考える余地は多少はあったかなと思う。そしてこの時覚えたB/Lの裏書きだの、CIF契約だのといった言葉を、数十年後の出版社の仕事で聞くことになったのは、驚くべきめぐりあわせだった。

 

アシスタントでついた男性社員は有名大学の応援部出身、若く独身だったこともあって、仕事終わりによく飲みに連れていってくれた。銀座のバーや東京のステーションホテルなど、今思うとずいぶん分不相応な店に行った。もちろん一度もお財布を開けたことはない。いつもよく尽くしてくれているから、ということで、全部男性社員の奢り。そういう時代だった。

 

今思い出すとちょっと恥ずかしいのだけれど、当時、自分は仕事ができる方だと思っていて、男性社員のアシスタントという身分が少し不満だった。手書きで記入する分厚い台帳があって、女性の先輩方はきれいにミスなく書いているのに、わたしはしょっちゅう書き間違えて、訂正印を使って修正し、また間違えて書き直し、という繰り返しで、「台帳がきたない」と注意されたほどだった。それでも当時は若さゆえの傲慢で、単純な事務作業が苦手なだけだ、と思っていた。入社2年目には早くも寿退社する同期が続々と現れ(そういう時代だった)、会社辞めたいモードは最高潮に達し、イギリスに短期留学をするという理由で会社を辞めた。

 

3ヶ月の短期留学を終えて、一応、立派な英語の資格も得て帰国。せっかくだから英語力のいかせる仕事に就きたい、と思って毎日新聞の求人広告をながめ、まもなく出会ったのが、英語教育雑誌の編集アシスタントの仕事だった。またしてもアシスタントではあるものの、この教育雑誌の編集部は編集長とアシスタントの2人だけで成り立っていたので、入社してすぐにページをもたせてもらったり、編集後記を書かせてもらったりして(一般の刊行物に自分の文章が載ったのはこれが初めてだった)、少しだけ編集者気分を味わうことができた。若くないけど独身だった当時の編集長は、落語をきいたことがない、という私を寄席に連れていってくれたり、雰囲気のある居酒屋でご馳走してくれたりした。当時その会社には雑誌の編集部が4つあって、同世代の男性社員や女性アシスタントが遅くまで仕事をしていたから、夜遅い時間から皆で飲みに行くようになった。自宅通勤の熱血運動少女だった私は、このときはじめて、本や映画や音楽の話をだらだらしながら朝まで飲む、というような生活があるのだということを知る。編集の仕事を本格的にやってみたい、アシスタントではなく正社員の編集者になりたい、と思ったものの、当時の(今も、かも)その会社はアルバイトから社員に登用する可能性はない、と断言していたうえに、3歳年上の編集者の膨大な読書量に圧倒されてこんなにすごい人じゃないと編集者にはなれないんだと誤解?してしまって、編集者への道はいったんあきらめることになる。25歳だった。

 

その後、紆余曲折を経て、勤め人としての3つ目の仕事に就いた。公務員。中学校の先生。いろんな偶然や誤解や思い込みが重なって、中学校の国語教師になりたいと思いつめ、通信教育で免許をとり、採用試験の勉強をし、合格通知を手にした。27歳、大船駅からほど近い木造アパートで一人暮らし、小さな車を買って、葉山の高台にある中学校に車通勤。1年C組の副担任、バドミントン部顧問、1年生3クラスの国語の授業を全部担当した。当時はどこの教科書かなんてまるで関心がなかったけど、あとで教材を思い出してみると、やっぱり光村だったみたいだ。授業の準備をするのも、授業をするのも、テストを作るのでさえ、楽しくて、国語の先生になってよかったなあ、と思いながら、張り切って1年目が過ぎた。

 

ただ一つ、問題があった。今思うと滑稽ですらあるのだけれど、当時私はどうしてもソフトテニス部の顧問になりたくて、バドミントン部の顧問がいやでいやでしょうがなかった。19歳から27歳まで、ほぼ切れ目なく母校のソフトテニス部のコーチをしていたから、ソフトテニス部の顧問なら、ほかの人に負けない、いい顧問になれる、と無邪気に思っていた。学校教育というのはそんなものじゃない。今はわかるんだけど、当時はバドミントン部顧問の仕事や、合唱コンクールの指導、清掃活動や給食活動など、自分自身が魅力を感じない教育活動に割かなくてはいけない時間が長すぎて、だんだん気持ちが追い込まれていった。あんなに楽しかった授業準備や授業もつらくなってきて、またしても退職を考えはじめる。最初の商社が2年、国語教師も2年。わたしは一つの仕事を2年以上続けることができないのではないか。30歳を目前にしてようやく、さすがにこれは自分の性格に問題があるのであって、仕事の側の問題ではない、ということに気づく。

 

それからしばらく、翻訳の勉強&仕事をしながら複数のアルバイトをこなす日々が続いた。一人暮らしのアパート住まいで、貯金もなく、一番生活が苦しかった時期。32歳のとき、当時住んでいた家から自転車で行ける距離のところにある編集プロダクションが、国語の教材の編集アルバイト募集の求人広告を出していた。30歳以下、経験者優遇。普通なら年齢オーバーで諦めるところなのだけれど、ダメ元で電話をして、「年齢は32歳ですが、若く見えます! 自転車通勤なので交通費ゼロです!」と自己主張してなんとか採用してもらった。この編集プロダクションで5年間、アルバイトとは名ばかりの、かなりがっつりと編集の仕事に従事した。小学校の準拠教材や、中学生向けの塾教材、高校教科書の指導資料など、ずいぶんいろいろな種類の書籍をつくった。短期間で、大量の編集作業をこなすことが求められる職場で、期待にこたえようとがむしゃらに働いた。

 

定収入を得て、生活の不安は解消したけれど、こちらの仕事が忙しすぎて翻訳の仕事をする時間がない。だんだん翻訳の仕事の割合が減っていって、このまま教材編集のアルバイトを続けていっていいのか、と思い始めたとき、翻訳書の編集の仕事を紹介してくれる人がいて、それなら、と思い切って編集プロダクションを辞めたのが、37歳のとき。気づけば2年ジンクスを大幅に超えて、5年も勤めることができた。大進歩。そしてこのときの編集プロダクションで教えてもらったことは今もいきているし、このとき出会った人々との関係は今もずっと続いている。

 

翻訳書編集の仕事の紹介の話がさまざまな事情で頓挫し、またしてもフリーターに。翻訳の仕事だけで食べていくのは難しいし、何か適当なアルバイトを探さなくては、と焦っていたとき、前職の編集プロダクションの取引先の出版社の人から、「ちょうど国語の教科書編集者を募集しているから面接を受けてみたら」と声をかけてもらった。アルバイトだと思っていたら、正社員だという。この頃には、編集の仕事も翻訳の仕事も、どちらも片手間でできるものではない、ということを肌身に染みて感じていたから、この会社に入社できたら、翻訳の仕事はきっぱりやめよう、と決めた。合格の通知をもらい、最後の翻訳作品を仕上げてこの出版社に入ったのが、2002年の6月。38歳だった。

 

入社して最初の年は、高校国語の指導書の編集。2年目〜3年目、高校の国語教科書の編集。4年目〜6年目、中学校国語の教科書編集、小学校国語の教科書編集。7年目〜9年目、高校国語教科書の編集、10年目〜11年目、高校国語の指導書編集、12年目〜18年目、一般書(翻訳書、図鑑、事典、アンソロジー、単行本)編集、19年目、高校国語学参編集。一つの仕事を2年しか続けられなかった私が、19年も同じ会社に勤め続けることができた。留学後に勤めた出版社や、編集プロダクションで働いていた時期を足すと、編集の仕事をしていた期間は25年。勤め人人生の大半を占めているということになる。自分で企画し、著者や翻訳者を探し、企画会議を突破して刊行までこぎつけ、宣伝方法を考え工夫して、世に送り出す。編集の仕事のフルコースを何度も繰り返し、その醍醐味を満喫してきたという実感はある。

 

さて、やっと現在の地点まで来た。挫折や失敗も含め、これまでのお仕事のあれこれをすべて背負って、これからフリーランスになるのだ。定年まではまだ少しあるとはいえ、50代後半での独立開業、そう簡単ではないだろうと覚悟はしている。でも、個人的には32歳で編集プロダクションに応募したときと似たような気分だ。(若く見えます!と主張してもしょうがないけどね)

 

今日の運動は、外ウォーキング30分、ジム筋トレ30分、トレッドミル30分。運動がんばっているわりには体重は減らず。お昼のカレーと夜のデザート(ケーキ)が重い。明日も仕事だー。 

 

 

今日から

昨年は久しぶりに波乱の1年だった。一昨年の9月に学参の部門に異動になって、このまま定年まで学参を作り続ける気満々だったし、昨年の7月のあの日までは、自分が早期退職をするなんて、全く考えていなかった。

 

でも、結果的に昨年10月いっぱいで会社を辞めて、2ヶ月、失業手当をもらいながら準備をして、今日から、正式にフリーランスとして仕事を始める。開業日を1月1日にしたのはとくに意味はなくて、実際は少しずつ仕事を始めていたのだし、今日から何かが変わるというわけでもないんだけど、20年近くぶりにフリーに戻るわけだから、何かけじめというか、スタートの号砲みたいなものがほしいなあと思って、サボり気味だった(というより、ほとんど閉鎖状態だった)このブログを再開することにした。

 

目標は、短くていいし、くだらない内容でいいから、毎日書く。小学校5年生から大学を卒業するまで、毎日とは言わないまでも継続的に日記を書いていたのだから、その生活に戻るのだと思えば、それほどハードルは高くないはず。その日読んだ本のタイトルを書いておくだけでも、自分にとって貴重な記録になるので、今度こそ、このタイミングで、ブログを再開したい。今日から、毎日書く。(あっ、いま、2日になってしまった。夜が明けるまでは1日、ということで、今後も。)

 

それからもう一つ、今日から毎日運動する。最低30分のウォーキングまたはランニング。高校時代は365日運動していた(テスト前などで部活が休みになっても、修学旅行の途中でさえ、ランニングや素振りをしていたからね)。自分が一番体力があって、一番よく運動していた頃(そして一番スタイルがよかった頃!)に、生活を少しでも近づけられたらいいかなあと思って、午後の3時頃から運動する、というのを年末からはじめてみたのだけれど、これが案外いい感じ。もちろん、高校時代のように2時間半も運動するのは不可能なので、とりあえず最低30分。運動できる日にやる、ではなくて、運動するのがデフォ。部活と同じで、具合が悪い時以外は、原則休まない。

 

というような、目標というか意気込みを書くたびに、同居人に冷笑される。ほんとうに悔しいんだけど、彼は非常にストイックな性格で、もう何年も、朝のジョギングをほぼ毎日(雨の日のみ休み)続けているので、せせら笑われても、皮肉を言われても、言い返せないのだ。

 

というわけで、今日の日記は決意表明とメモのみ。

今読んでいる本は、小谷真理『性差事変』、

今日届いた本は、ダイアン・セッターフィールド/高橋尚子訳『テムズ川の娘』、

今日の運動は、外ウォーキング30分、筋トレサーキット30分、トレッドミル20分。

 

さっきたまたまNetflixで「ノッティングヒルの恋人」を観出したら、前に一度観たはずなのに止まらなくなっちゃって、これ書いたあと続き観る! 今日は1月1日なので、一応、仕事はお休みにして、明日から2022年の、そしてフリーランスとしての「仕事始め」なのだー!