東京は雪

新しい生活のルーティン、お弁当と運動着を持って仕事場へ。二人ともいわゆる作業仕事だったので、黙々と仕事をする。以前の職場の後輩に質問をしていたのだけれど、例によって明快かつ的確かつ丁寧な返事がくる。はいはい、わかりました、仰せのとおりに、という感じでさくさくと作業が進む。と、同居人が、「雪降り出したんじゃない?」と突然言った。え、雪? と窓を開けると、ほんとうに、雪が降っている。「あまり積もらないらしいけど、寒いよね」と同居人が言う。仕事場のアパートは、ほんとうに寒い。備え付けのエアコンは時折ぐおおおお、と音がするわりにパワー不足。このままでは風邪をひいてしまう、久我山の自宅で仕事したほうがいいかもね、などと話しながら、意外にこの不自由で貧乏くさい感じが気に入っている。

 

お昼はコタツで食べるので、同居人が少し早めにコタツの電源を入れてくれた。わたしはいそいそとマグカップでインスタント味噌汁を用意する。「寒い、寒い」と言いながら、コタツに入って味噌汁のお湯が沸くのを待つ。窓の外は雪。このままだと結構積もるかも、吉祥寺まで行くのは無理かもね、などと話しながら、お弁当を食べた。お行儀悪いけど、と言いながら、寒いので首までこたつに入って暖まっているうちに、当然ながら眠くなってきて、同居人はいびきをかいて眠ってしまった。

 

20代の終わりか30歳くらいの頃の雪の日のことをぼんやりと思い出した。朝起きたら雪が降っていて、なんだかもう、このまま死んじゃってもいいかな、と思った。それは、世をはかなんで、とか、誰かをうらんで、とかではもちろんないし、いわゆる幸せの絶頂で、このまま死んでしまいたい、というのとも違う。単純に、こんなきれいな雪の日に、ふわっとそのままこの世から消えてしまえたらいいかな、って気分になったということ。

 

雪の日のひとこまを描いたよしもとばななの「バブーシュカ」という短編小説がとても好きで、教科書の編集会議でもめちゃくちゃ推したんだけど、結局、載せてもらえなかった。気づいたら他社に先を越されてしまい、がっかりした記憶がある。編集委員の先生方(当時は全員男性だった)はいまひとつぴんとこなかったようだけれど、わたしはこの主人公の気持ちがすみずみまでわかる、と思った。ああ、もう一度読んでみたいな。本棚のどこかにあるかな。

 

元同僚たちから「雪で電車が遅れてる」「タクシーの行列が不安」という嘆きの声が届く。そうだった。会社勤めの人たちは、こんな時間から雪にふられたらたまらない。センチメンタルな気分になってる場合じゃないのだ。仕事場からそれなりに苦労して帰宅。傘がなかったので結果的にびしょ濡れ、大急ぎで熱いシャワーを浴びて着替えた。ニュースでは東京の大雪とともにコロナ感染者数の倍増を伝えている。

 

これから1時間ほど、OB会の仕事をしてから寝よう。

今日の運動はスクワットとレンジ、14回を2セットのみ。雪でウォーキングはお休み。