ちはやふる

我が家は二人ともほとんど漫画を読まないのだが、このたび「ちはやふる」という大ヒット漫画が映画化され、主題歌はPerfume 、とのことで、遅ればせながら漫画好きの後輩に頼んで入手し、読み始めた。数年前に仕事でお世話になっている高校の先生から、この漫画をめぐる漫画家と編集者の熱いエピソードをうかがっていたということもあり、まあ最初の数巻だけ読んでみて、面白ければ続きも、というくらいの軽い気持ちで読み始めたのだが。。。


面白かった。借りてきた5巻をあっというまに読み終えて、明日は次の5巻、またその次、というふうに読んでいくつもり。じつは「あっというま」というのは正確じゃなくて、何しろ漫画というものを読みつけないので、1巻はかなり手こずった。読み方の手順というか、目の動かし方がよくわからなくて、なんだか集中しないのだ。2巻、3巻と進むうちに慣れてきて、あとはもう、先を読むのが楽しみで、次、次、という感じ。


この漫画家さんは不祥事でしばらく休筆して、その後、読み切りで復活、翌年、この「ちはやふる」の連載を開始して、大ヒットになったのだそうだ(有名な話なのかもしれないけどわたしは漫画疎いので何も知らなかった)。出版界は案外こわいところで、自分では思いがけないところでミスを出したり、それが大きな事故につながったりすることがある。ただ、何かそういうトラブルや事故があったときに、どうやって復活するか、立ち直るか、というところで、その書き手なり編集者なり会社なりの、真価がわかるんだと思う。少なくとも、笑っちゃうくらいはっきりと、敵と味方がわかる。


どなたかがこの漫画家さんの復活について、「描き手は、作品を世に出すことでだけ、許されるのだ。彼女は、読者に許されたと思う」と書いていて、かなりうるっときた。休筆してて、最初に読み切りを出すとき、どんなに不安だっただろう。連載スタートしてからも、「もうだいじょうぶ」って思えるまで、きっと時間がかかったと思う。部活のようなものでも、仕事でも、本気で情熱を傾ければ、失敗や挫折はつきもので、この漫画はそういう意味では、作者が文字通り身を切るようにして生み出した漫画なんだな、と思った。


会社の後輩は漫画好きが多くて、やっぱりこれは世代の違いか? と思ったりもする。漫画もおもしろいのたくさんある、っていうのはわかるんだけど、これ以上漫画にまで手を出すと、本を読む時間が足りなくなっちゃうからねえ。昨日から、『「罪と罰」を読まない』というタイトルの奇書(と言っていいと思う)を読んでいるんだけど、非常におもしろい。なぜおもしろいのか、説明するのはかなり難しいけど、とにかく「罪と罰」をすでに読み「傑作」と思っている私が読んで、じゅうぶんおもしろい、ということだけ、とりあえず書いておこう。

今年はほとんど休止状態

ここ数年、どんどん休眠状態に向かっていたこのブログ。今年は今日までに全部でわずか9回しか書いてないということがわかった。読書も全然はかどらなくて、読了本がほとんどない。読みたい本、読むべき本はいっぱいあるのに、どんどん積ん読状態になっている。


年末に入ってからいろいろあって、かなり参っている。人の悪意にふれたり、孤独感に苛まれたり、何より、自分の力不足を思い知ったり。そういうときはジタバタせずに、静かに目の前の仕事に向き合うべし、と同居人に言われた。ので、今日は休日出勤して、一日静かにゲラを読んで過ごした。たしかに、ゲラを読みながら、固有名詞の統一とか、ファクトチェックとかを黙々とやっていると、本来仕事というのはこういうもので、地味で孤独な作業の積み重ね、なのかもしれない。


今年の目標は、訪英とダイエットとテニス復活だったんだけど、達成率は50%。ロンドン・ブックフェアばかりか、今年は秋にフランクフルトのブックフェアに行く機会にも恵まれ、10月中旬くらいまで仕事もやる気満々だった。ダイエットは夏のテニス合宿で一念発起してダイエットに取り組み、年内に10キロ減を目標にがんばってきたけど、7キロ減くらいで止まってしまった。さらにここのところの気分のダウンで、昨日はアイスクリーム&ポテトチップス、今日はケーキと、とてもダイエット中の人とは思えない食事をしてしまった。あと、テニス復活は、果たせず。


来年も、ブックフェアの時期にイギリスに行きたいなあと思ってる。あと、ダイエットはさらに7キロ減。仕事は大型本が4冊と、単行本が3冊、既にやることが決まっている。どれも、自分がやりたくて通した企画ばかりだから、やる気満々!なはずなんだけど、いまひとつ元気が出ないのは、社内でこの本のことを真剣に考えてるのは自分ひとりだけ、だからかな。うーん。あ、でも、来年から新たに同僚ができるので、少し相談したり、愚痴こぼしたりできるかもしれないので、ちょっと期待できるかな。同僚っていっても年上のベテラン編集者なんだけど。


12月に入ってから、ノンフィクションとミステリ、二つの翻訳関係の忘年会に参加して、旧知の人に久しぶりに会ったり、新しい出会いがあったりで、とても楽しかった。どちらも翻訳者と編集者とエージェントが参加してるんだけど、参加者のタイプが微妙に違うのが興味深い。やっぱり、ノンフィクションのほうはビジネスライクで、ミステリはオタクっぽい。ミステリのほうは翻訳修行時代以来だから10数年ぶりに参加して、翻訳で食べていこうとがんばっていた30代のころを思い出した。業界の状況は当時よりもだいぶ悪化して、初版の部数が下手すると半分程度にまで落ち込んでいるから、翻訳で食べていくのはますます大変になっている。それでもみんな、翻訳の仕事が好きでがんばってるんだなあ、と思うと、「企画会議がとおらない」とか弱音はいてる場合じゃないな、と思う。今年はあともうひとつ、翻訳関係の忘年会があって、これで忘年会おさめ、かな。


そうだ、来年やってみたいことのひとつに、シェイクスピアの舞台をみる、っていうのがあった。来年はシェイクスピア没後400年のメモリアルイヤーで、シェイクスピア関連の書籍(翻訳ものの大型本)も担当している。で、いまはその原稿を読んでいるんだけど、やっぱりシェイクスピアって奥が深いなーと思うんだよね。いろんな解釈があって、それに基づいていろんな演出の舞台があって、全作きちんと読んでみたい(もちろん翻訳で、だけど)とも思うし、やっぱり舞台をみてみたい。今年は諸般の事情によりずいぶんたくさんライブに行って、ライブっていいもんだなあと思った。ロンドンでみたミュージカルもすごい迫力で、それなりにお金はかかるけど、印象は激烈で一生忘れないだろうな、と思う。


さて、夜も更けてきたので、紅茶でも淹れて、積読本の山の中からどれか一冊抜き出して、読み始めることにするかな。

年をとっていくのだ

橋口幸子『いちべついらい 田村和子さんのこと」読了。

いちべついらい 田村和子さんのこと

いちべついらい 田村和子さんのこと

年をとっていくこと、孤独、記憶、いろいろ考えながら、胸に何かつっかえているような感じをおぼえながら読み終えた。和子さんや著者と同じように、わたしも年をとっていくのだ、これまであったいろんなことを抱えて。


著者が田村和子さんの家に間借りすることになったとき、和子さんは49歳だったという。ねじめ正一の『荒地の恋』に描かれていた内容とほぼ同じようにものごとは進む。著者は作品中で、『荒地の恋』の和子さんは、ほんとうの姿とちょっと違う、と書いているけれど、わたしは『荒地の恋』の和子さんも、『いちべついらい』の和子さんも、どちらもとても魅力的だと思う。


二人の詩人も和子さんも、やってることはめちゃくちゃだけど、本人たちは生真面目に、一生懸命考えて生きてきたってことがよくわかる。誰になんと言われようと、そうするしかなかったんだろう。作品の舞台が自分にとって馴染み深い鎌倉の地ということもあって、著者の描く和子さんと著者自身の50代以降の日々に、どうしても自分自身の未来を重ねてしまう。


いやいや、会社勤めもしてるし、同居人もいるし、全然状況違うでしょー、と自分で突っ込んでみたりする。でも、そういうことじゃないんだな。和子さんと著者の年のとり方が違うように、わたしはわたしなりのやり方で、でも確実に年をとっていくのだ、ということ。あたりまえだけど。そしてこれからどんなふうに年をとっていくのかは、これまでどんなふうに生きてきたかということを反映しているというか、これまでのことの「記憶」を抜きにして生きていくことはできないんだな、ということを、あらためて感じたのだった。


いい本だった。自分にとって大事な一冊になると思う。

マッドマックス観たー!

今日は午前中から渋谷に繰り出し、まずは東急7階のジュンク堂へ。1時間半ほどうろうろし、自分が担当した書籍が売り場のいい位置に鎮座しているのをチェックし「ありがたやー」と拝み、単行本を1冊だけ買ってパスタを食べ、予約していた映画館へ。30分前くらいに着いちゃって、待っている間まわりを見回すと、あれ、予想以上に年齢層、若い! もっと旧作をリアルタイムで観たっていう人が来てると思ったのに、渋谷という場所柄かもしれない。


いやー、おもしろかった。あまり詳しく書くとネタバレになっちゃうので控えるけど、アクション映画、娯楽映画として、最高に楽しめる。アクションシーンの迫力、風景の壮大さ、徹底したバカバカしさ。ヒーロー、ヒロインも文句なしにかっこいい。旧作は「1」と「2」を観たんだけど、今回の「怒りのデスロード」はダントツでよくできてると思った。


渋谷は通勤経路と外れるので、近いわりに案外出かける機会が少ないのだけれど、先日わけあってハローワークに行ったとき(転職とかじゃないよ!)、以前よりずいぶん大人が楽しめる街というか、私くらいの年齢の人間にとって居心地のいい街になったような気がした。で、今日行ってみて、あらためてそう思った。今日行ったジュンク堂は品揃えがなかなか充実してたし、パスタも美味しかったし、映画館も座席を予約できるし50歳以上割引あるし。ご機嫌で帰宅して、さえきで買い物をして、今日の夕飯は、マス寿司とゴーヤチャンプルー、食後にバナナ。なんだか変な組み合わせだけど、自分たちがよければ、それでいいのだ!


夜はテレビでお笑い番組を観て、早寝早起きの同居人はもういびきをかいて寝てる。わたしはこれを書き終えたら、だいじにとってあったケン・リュウの短編集の続きを読む。先輩にもらったマカイバリ農園の紅茶をいれよう。1100円の映画と、1900円の本が、人生をこんなに豊かなものにしてくれる、って考えると、ちょっと驚く。お得だよね。

久しぶりに書いてみる

1年ちょっと前に部署が異動になって、だいぶ時間に余裕が出てきたはずなのに、なぜかブログの更新がはかばかしくない。やはり、ツイッターの影響が大きいとは思うけど、このままだとほんとにまとまった文章が書けなくなるような気がするので、週末とかはなるべくこっち(ブログ)を書くようにしようかな、と思い始めた。(続くかどうかはわからないけど)


昨日、某大学の文芸批評についての授業を聴講するという機会に恵まれた。日本を代表する一流大学の学生さん、院生さんの発表を、後輩の編集者といっしょに拝聴し、時折、コメントを求められると、後輩が答えてくれた。そのあと、大学の研究室に行って、いかにも才色兼備!という感じの魅力的な助教さんと後輩と3人で少し話をした。


この一連の流れの中で思ったのは、あー、わたしは研究者を志したりしなくてほんとによかった、ということ。もちろん、大学のレベルからして、私が通っていた私立大学とは段違いではあるのだが、それにしても自分の若い頃と比べ、学生さんたちも、後輩も、助教さんも、あらゆる面で賢く、分析的で、話をまとめる力があるのだ。もちろん、「年の功」ってのはあるので、話を聞いていて、いろいろ思うことはあるのだけれど、そのぼんやりと思ったことを、彼らと同じレベルというか階層のことばを使って、びしっと明確にまとめて話すなんてことは、ほんとうに、ほんとうに、至難のわざだと思った。


それでも、こんなふうに10代、20代の前途有望な若者たちと話ができるのは刺激的な体験だった。考えてみると前の職場は、先ほどの後輩も含め、年下の有能な編集者たちといっしょに仕事をしていて、自分の頭のはたらきが異様にスローに思えて自己嫌悪に陥ったりしていた。いまは年上の上司と二人だけの職場なので、自分から求めていかないと、年下の人と接する機会がほんとうに少ないのだ。ゆったりしていて居心地満点、なのだけれど、少し物足りないというか、刺激が少ないような気もする。もう少し外部との接点を増やした方がいいのかもしれないな、と思った。


読書のほうは、ここのところ好調で、「当たり」が多い。前回の日記以降の読了本は、キングの『シャイニング』の続編と、ビナードさんの新書。新潮の原田宗典の復活作もよかった。感想、書きたいんだけど眠くなってきた。ので、またいつか。

もしも、詩があったら (光文社新書)

もしも、詩があったら (光文社新書)

新潮 2015年 08 月号 [雑誌]

新潮 2015年 08 月号 [雑誌]

読了本をとりあえず。その2

まったくブログが更新できていないけど、読了本を忘れてしまいそうなので、とりあえず列記、その2。今月は仕事で読まなくちゃいけない本があったりして、いまひとつ自分読書が進まず、読了本が少ない。あらためて見ると、最近日本の小説をあまり読んでないなー。河出の日本文学全集も、インテリアになってる。

赤毛のレドメイン家 (創元推理文庫 111-1)

赤毛のレドメイン家 (創元推理文庫 111-1)

ミステリ編集道

ミステリ編集道

読了本をとりあえず。

それほど忙しいわけでもないのに、やはりツイッターをはじめてから、ブログのほうはすっかりおそろかになっている。自分のために書いているブログだから、それはそれで別にいいのだけれど、ツイッターだと読了本リストの代わりにはならないのでちょっと不便。というわけで、この1ヶ月の間の読了本を、とりあえず並べておく。この一ヶ月の読書はわりと好調で、年末のベストに入ってきそうなものがほとんどだった。

樽 (創元推理文庫 106-1)

樽 (創元推理文庫 106-1)

黒い迷宮: ルーシー・ブラックマン事件15年目の真実

黒い迷宮: ルーシー・ブラックマン事件15年目の真実

虹色と幸運 (ちくま文庫)

虹色と幸運 (ちくま文庫)

忘れられた巨人

忘れられた巨人


クロフツの「樽」は、実際は家にあった新潮文庫の宇野利泰訳なんだけど、書影が出てこないのでほかので代用。