久しぶりに書いてみる

1年ちょっと前に部署が異動になって、だいぶ時間に余裕が出てきたはずなのに、なぜかブログの更新がはかばかしくない。やはり、ツイッターの影響が大きいとは思うけど、このままだとほんとにまとまった文章が書けなくなるような気がするので、週末とかはなるべくこっち(ブログ)を書くようにしようかな、と思い始めた。(続くかどうかはわからないけど)


昨日、某大学の文芸批評についての授業を聴講するという機会に恵まれた。日本を代表する一流大学の学生さん、院生さんの発表を、後輩の編集者といっしょに拝聴し、時折、コメントを求められると、後輩が答えてくれた。そのあと、大学の研究室に行って、いかにも才色兼備!という感じの魅力的な助教さんと後輩と3人で少し話をした。


この一連の流れの中で思ったのは、あー、わたしは研究者を志したりしなくてほんとによかった、ということ。もちろん、大学のレベルからして、私が通っていた私立大学とは段違いではあるのだが、それにしても自分の若い頃と比べ、学生さんたちも、後輩も、助教さんも、あらゆる面で賢く、分析的で、話をまとめる力があるのだ。もちろん、「年の功」ってのはあるので、話を聞いていて、いろいろ思うことはあるのだけれど、そのぼんやりと思ったことを、彼らと同じレベルというか階層のことばを使って、びしっと明確にまとめて話すなんてことは、ほんとうに、ほんとうに、至難のわざだと思った。


それでも、こんなふうに10代、20代の前途有望な若者たちと話ができるのは刺激的な体験だった。考えてみると前の職場は、先ほどの後輩も含め、年下の有能な編集者たちといっしょに仕事をしていて、自分の頭のはたらきが異様にスローに思えて自己嫌悪に陥ったりしていた。いまは年上の上司と二人だけの職場なので、自分から求めていかないと、年下の人と接する機会がほんとうに少ないのだ。ゆったりしていて居心地満点、なのだけれど、少し物足りないというか、刺激が少ないような気もする。もう少し外部との接点を増やした方がいいのかもしれないな、と思った。


読書のほうは、ここのところ好調で、「当たり」が多い。前回の日記以降の読了本は、キングの『シャイニング』の続編と、ビナードさんの新書。新潮の原田宗典の復活作もよかった。感想、書きたいんだけど眠くなってきた。ので、またいつか。

もしも、詩があったら (光文社新書)

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新潮 2015年 08 月号 [雑誌]

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