10年のあいだに

ふと思い出して、2013年の3月のブログを読んだ。「この3月で、苦楽をともにしてきた非常勤の仲間が一斉に職場を去った」とある。そうか、あの年か。あれからもう10年経ったのか。いや、まだ10年?

 

あの時、会社の人事施策で、長期契約の非正規雇用者が能力や功績のいかんにかかわらず、契約を切られた。非正規雇用の人たちのがんばりで支えられているような職場だったから、わたしは猛烈に反発した。とくに、ひとりは編集プロダクション時代からの友人で、私の見る限り誰よりも能力が高く、すぐれた編集者だったし、その年は編集部が修羅場と化す仕事量が予想されていたので、どうしても非正規の方々の力を借りる必要がある。事情をきちんと説明すれば、会社はわかってくれるだろう、と思っていた。ところがこのときは、なぜだか知らないが、会社は頑なだった。折悪く彼女を高く評価していた直属の上司は長期の病気療養中で、加勢してくれる人はだれもいない。当時の部長と会議室で話しながら、私は悔しくて泣いた。もうこれ以上がんばれない。とにかく今年1年はがんばるけれども、そのあとは勤め続けられるかわからない。たぶん19年の会社員生活で、もっとも会社に絶望した日だったと思う。

 

それから10年。あのとき雇い止めにあった彼女は、フリーランス編集者として素晴らしい活躍をしている。あのときの部長はどんどんえらくなって、今や社長だ。翌年、わたしはかねてからの希望の部署に異動になって、それから8年後に会社の早期退職制度に応募して退職して、フリーになり、会社をつくった。先日、「出版事業をはじめようと思っています」と社長に伝えたら、とても喜んでくれて、がんばりなさい、と励ましてくれた。

 

10年のあいだに、ほんとうにいろんなことがあった。四半世紀ぶりにイギリスへの一人旅を決行したのが2015年。はじめてロンドン・ブックフェアを訪れ、ほとんど何もできずにすごすごと帰ってきた。あのときのみじめな気持ちといったら! それからコロナ禍で急遽とりやめた2020年までの5年間、毎年、ブックフェアの時期にロンドンを訪れた。翻訳書の仕事が増えていたこともあり、少しずつブックフェアで商談などもできるようになり、このイギリス旅行は毎年自費で行っていたのでブックフェアの前後にはあちこち観光したり、芝居を見に行ったり。今年はトーキーを訪問しようと宿を予約し、ロンドンでは久しぶりにシェイクスピア劇を観ようとグローブ座のチケットをとり、ブックフェアのチケットも予約して、定例のイギリス旅行を楽しみにしていた2020年、コロナ禍。イギリスはのんびりしていたけれども、日本は保育園が休園になってママさんたちが出社できなくなるというときに、自分だけ旅行を楽しむわけにもいかない、と泣く泣くキャンセル。幸い、グローブ座以外はすべて、無料かわずかな手数料でキャンセルができた。グローブ座のチケットは、ロンドン在住の友人がもらってくれた。その年の秋、一般書編集室がなくなり、異動。翌年、退職。その間ずっと、海外はおろか国内旅行もままならない、ステイホームの日々が続いた。

 

そしてようやく今年、取引先の出版社の方々から、「ブックフェアへ出張」という声が聞こえるようになった。今はちょうど、ボローニャのブックフェアが開催されていて、私がものすごくお世話になったエージェントさんや、今いっしょにお仕事をしている編集者の方が出張に行っているらしい。ボローニャは児童書のフェアだから、今後、ロンドン、フランクフルトと、ますます出張するエージェントさん、編集者さんは増えることだろう。わたしもなんとかして行きたい。今年は無理でも、来年は、必ず。今思うと、会社員生活の最後の数年があんなに楽しくがんばれたのは、年に一度(時には二度)、ロンドンやフランクフルトを訪れていたからだと思う。今思うと会社の正式な出張ではないし、なんの権限もない一編集者がのこのこミーティングに出ていたわけで、ずいぶん図太いというか、図々しい行動だ(社名を名乗ってミーティングに参加することについて会社の許可は得ていた)。そんな突拍子もないことをやってしまうくらい、私にとって、年に一度のロンドン行きが重要だった、とも言える。面倒くさいとか、カッコ悪いとか、体裁を気にすることもなかった。

 

これからの10年は、どんなふうになるのだろう。編集請負の仕事はとても順調で、このままでなんの問題もない。なぜ出版事業を始めようとしているのか、という問いに、明確には答えられない。なんか、おもしろそうだから。というくらいのものだ。どんな本を出していくか、という問いにも、正直にいえば、自分がおもしろいと思う本、というくらいの答えしかない。常識や体裁を気にせずにブックフェアに突進したときのように、おもしろそうだなと思うことに、ふらふらーと近寄っているだけなのかもしれない。まあ、考えてみればこれまでも、そんなふうに生きてきたような気もするな。