海辺で「海辺の生と死」を読む

お盆休み最終日の今日は、小田急ロマンスカー江ノ島海岸へ。海辺の読書は思っている以上にはかどる、ということを経験的に知っているので、携帯本には気をつかう。とはいえ、あまり分厚い本は持っていけないし、水がかかって本が傷んだりするといやなので、読書中の『川端康成伝』はおいて、昨日購入した文庫本、島尾ミホ『海辺の生と死」を、沖縄で買ったプール用のバッグに入れた。


小田急新宿駅構内のおにぎりやさんで朝食をとり、大好きなロマンスカーに乗り込む。夏休み中の日曜日とあって、ロマンスカーは出発30分前には既に満席。事前に予約していたのでゆったりと座り、オレンジジュースを飲みながら『海辺の生と死』を読み始めた。

数年前に仕事の関係で、この本の一部のコピーを読んだ。ミホさんが「隊長さま」に最後に一目会うために、海岸を走る場面である。監視の人に見つからないように匍匐前進までして、文字通り決死の思いで走っていくミホさん。これはすごい、と思った。何よりこれだけの情熱を、ありきたりの言葉ではなく情景描写を中心に描き出していく技術がみごと。それで、すぐにこの本全体を読みたいと思ってさがしたのだけれど、なんと絶版、このテの本ならきっと同居人の本棚にあるに違いないと思ったが、珍しく、ない、と言われ、あきらめていたのだ。復刊、ありがとう!


江ノ島海岸に着き、パラソルと浮き輪を借りて、いざ、海へ。あらー、もしかしてわたし、女性最年長かも〜。でもめいっぱい露出度の低い水着を着てるし、水に入っちゃえば体は見えないから、人目なんて気にしない。しばらく童心にかえってきゃあきゃあ波とたわむれた。が、そこはやはり寄る年波、あっというまに疲れてしまって、パラソルの下の日陰へ避難。『海辺の生と死』の続きを読む。読む。読む。海辺の読書は、ほんとにはかどる。結局、江ノ島海岸のパラソルの下で、最後まで読んでしまった。奄美に行きたい。加計呂麻島に行きたい。ミホさんがこの本の中で描いたような島の風景は、もう残っていないだろうけど、でもわたしの毎日の生活とは全く異質な、でも強力にひかれる何かが、この本の世界にはあるような気がした。家族や親戚とのかかわりはもちろんだけれど、島に訪れるさまざまな人々の描写と、その人たちを見つめる少女の観察眼や感性は、ほかのどんな小説でも読んだことがないように思った。それから、最後まで読んでみて思ったのは、全体として文章の完成度が高くて「名文」と呼んでよいような作品ではあるけれど、やっぱりこの本のハイライトは、「その夜」と題された、仕事でコピーを読んだ部分だな、と。このような形でよい本と出会わせてくれた現在の仕事に、とりあえず感謝。