文庫本2冊&DVD1本

本屋さんに行くと、つい仕事がらみの本をさがしてしまう。
もうここまで来ると、そう簡単にいい「出会い」があるはずもなく、
むなしく1時間、2時間とときが過ぎてゆく。
やがて見切りをつけて、「自分用」の本をさがす。
反動のように、長編小説や翻訳もの、教科書には向かないような本を選ぶ。
2冊読了。

赤朽葉家の伝説 (創元推理文庫)

赤朽葉家の伝説 (創元推理文庫)

エレクトラ―中上健次の生涯 (文春文庫)

エレクトラ―中上健次の生涯 (文春文庫)

桜庭一樹は、とても面白かった。
とくに第一部がいい。
百年の孤独」をそのまま日本に置き換えたみたいな話、という気もするけれど、
戦後の世相や社会をよく調べて、小説として「読ませる」形にまとめる手腕はさすが。
二部、三部と進むにつれ、だんだん安っぽい感じになるのは残念だけれど、
「あとがき」を読むとこれも意図的らしく、
第二部は少女漫画っぽく、第三部はミステリーっぽく、とタッチを変えたのだという。
第二部の主人公、毛毬がわたしと同世代で、
荒れる中学校、身近にある売春、受験戦争、バブル、などの世相はほぼ100%共感できるのだけれど、
それだけになんとなく、こんなに単純じゃないよなー、と思ってしまった。
第三部も、「殺人」の謎解き、みたいな話にしなくてもよかったんじゃないかなーと思う。語り手である1980年代生まれの少女のふわふわした感じや、漠然とした不安感、不完全燃焼感、みたいなのはよく出ていて、三世代の女たちの物語、としてとても面白く読めた。
また、フェミニズムや同性愛もさりげなくとりいれていて、わたしにはちょうどいい感じ。
祖母の万葉が「山の子」だという設定が、どっしりと作品の中心に据えられていて、これがマルケスっぽい広がりや深さを生み出しているのだろうと思う。


中上健次の評伝を読んでみようと思ったのも、たぶん、桜庭の本の設定に影響を受けているのだろう。
中上健次は、『十九歳の地図』と『枯木灘』くらいしか読んでない。
ただ、その人となりについては、断片的な知識がそれなりにあった。
多くは熱狂的な中上ファンの目を通した、ヒーローとしての中上像。
そういう意味では、比較的淡々とした文体で書かれているこの本は、
かなり分厚いということもあり、よみでがあった。
ただ、面白かったかどうか、というと、んー……。
残念ながら、最後まで中上健次という作家を好きになれなかった。
作家、というより、男の人として、こういうタイプ(やんちゃ系?)が好きじゃないってことかもしれないけど。
ともあれ、この本のおもしろいところは、かなりのページを中上と編集者との交流に割いているということ。
文芸誌の編集者って、すごいなー、とか、大変だけどやりがいあるだろうなー、とか思いながら読んだ。
今、自分は文芸誌を定期購読してせっせと読んでいるけれど、これに載っている作品もみんな、こういう身を削るような切実な作家と編集者のやりとりを経て、掲載に至っているんだろうか……。


夜、同居人が少し前に買ったDVDを観る。

好きだ、 [DVD]

好きだ、 [DVD]

宮崎あおい瑛太西島秀俊永作博美
セリフの少ない、ストーリーもほとんどない、不思議な映画だった。
でも、とてもよかった。
高校時代の切ない感じ、大人になって再会したときの気恥ずかしい感じ。
同居人は女優さん二人にしびれていたし、
わたしは瑛太くんと西島くんにノックアウト!された。
そうだ、わたしはやっぱり、中上のような野獣系より、
「好きだ」のひとことがいつまでも言えない、優柔不断男にひかれるのだった。


この映画を観て思い出したのだけれど、
わたしが高校生のころの男女交際って、
ほんとにこんな感じで、「いっしょに帰る」ってだけだったなー。
ふだんは電車に乗るところを何十分もかけて歩いて帰ったり、
公園にちょっと寄ったり、時々、海まで遠出したり。
クラスメートのことや、読んでる本のことや、進路のことなんかを、
ぽつ、ぽつ、と話した。ほんとに淡い、清い、おつきあいだったな。
そして、思い出すと笑っちゃうくらい、ひたむきで、まじめで、不器用だった。
ま、けがれた大人になっても、最後の形容動詞だけ、残っちゃったような気もするけど。