横須賀線の中で読んだ本

というタイトルで書いているけれども、
昨日も書いたように、現在の携帯本はキンドルの原書なのでどうもはかどらず、
今日も「読了本」はないのだった。
かわりに、というわけじゃないんだけど、
いつも読んでいる読書家のブログで、島尾敏雄『死の棘』を読んだ、とあったので、
思い出したことを書こうと思う。


わたしは23歳のとき、間違いなく『死の棘』を文庫本で読んだ。
にもかかわらず、うちの本棚に、この本はない。
なぜなら、当時横須賀線東京丸の内の商社まで通勤していたのだけれど、
その車中でなくしてしまったからだ。


その日はたしかいつものように残業をして、夜9時台くらいの横須賀線に乗っていた。
当時の横須賀線はほとんどがボックス席で、わたしはボックス席の間の狭い通路に立って、
読みかけの『死の棘』を、一心に読みふけっていた。
読んでいるうちにどんどん物語の世界にひきこまれていって、
場面によっては胸が痛くて読み進めることができず、いったん本を閉じて深呼吸したりして、
それでも二人がどうなるのか心配で、
二人といっしょに文字通り息をつめるようにして読んでいたのだと思う。


もともとわたしはあまり電車に強くない。
横須賀線というのは結構揺れが激しい電車で、
当時、通勤の途中で何度か気分が悪くなって、途中下車したことがあった。
このときも、あまりに熱中したのが、よくなかったのだと思う。
突然、視界が真っ白になり、文庫本の文字がその白い世界をびゅんびゅん飛び交いはじめた。
「あ、貧血だ」と思ったのと、「わたしはこのまま死ぬのかもしれない」と思ったのと、ほぼ同時だった。
とりあえずその場にしゃがみこみ、呼吸を整えようとした。
遠くで「席をかわりましょうか」と言っているような声と、島尾敏雄らしき人が何か言い訳めいたことを言っている声が聞こえて、
わたしは、「だいじょうぶです」「このほうが楽なんです」と答えてうずくまり続け、
次の停車駅でよろよろと横須賀線を降り、ベンチにへたりこんだ。
たしか、保土ヶ谷東戸塚だったと思う。


しばらくベンチで休み、少し気分が落ちついたときに、手に持っていた文庫本がないことに気づいた。
たぶん、電車の中に落としてきたのだろう。
以後、ずいぶん長いこと、『死の棘』を手にとることができなかった。
それはおそらく、恋愛中のわたしにとっては、この夫婦の時には滑稽ですらある狂気が、
とても人ごととは思えなかったからだ。
また、具合が悪くなるにちがいない、と思った。


その後、十年以上経ってから、最後まで読む機会があったように思うのだが、不思議なことに結末をまったくおぼえていない。
思い出すのは妻が畳をむしっている場面とか、愛人の部屋の様子とか、
それも、真っ白な中に文字がびゅんびゅん、とセットでよみがえってくるのだ。
どうやら23歳のときの体験があまりに鮮烈で、そのときの印象から逃れられなくなっているらしい。
でも、これほど強烈な印象を残した本はほかになく、
島尾敏雄『死の棘』は、わたしにとって特別な一冊、となっている。