橋本治「あなたの苦手な彼女について」

あなたの苦手な彼女について (ちくま新書)

あなたの苦手な彼女について (ちくま新書)

読了。
昨日、パルコの本屋で買った本の中でも、とくに軽そうな本をとりあえず読む。
かなり飛ばし読み。
相変わらずの橋本節で、煙に巻かれるみたいな感じでずるずる読んでいくんだけど、
うーん、なんだか最後まで、あまりぴんとこなかったなあ。
「男は……である。」という部分については、ふうん、そうなんだあ、と思ったりもするんだけど、
「女は……である。」という部分にさしかかると、うーん、ちょっとどうかなあ? という感じ。
たしかに、帯の言葉「『自分』のない男と『自分』しかない女」なんて、うまいけどね。


そういえば今朝、電車に乗っていたら、母から携帯にメールが来た。
メールなんてあまり使い慣れない母のことだから、何か悪い知らせかと思ったら、
こんな内容だった。
「3月2日朝日新聞の短歌壇に英語青年を詠んだ句がのっています。」
会社に着いてすぐ見てみた。
東村山に住む女性が、ご主人のことを詠んだ歌。
とてもいい歌だと思った。思わず、ほろりときた。
(短歌なので、引用はしません。
 興味のある方は朝日新聞3月2日の朝日歌壇、佐々木幸綱選をご覧あれ。)


今日も10時まで残業して帰宅。
このペースでは間に合わない、と思うのだけれど、
これ以上無理をしたら最後までがんばれない、とも思う。
同居人がせっせとお弁当の用意をしてくれるので、
(なぜか、おかずとごはんをつめるのは、毎日、わたしの担当だ)
かろうじてお弁当を持っていくことで、生活のリズムを保っている。
ほぼ毎日お弁当を持っていくようになって気づいたのだけれど、
お弁当というのは、なかなかいいものだ。
会社の席で、短時間で食べることになるのだけれど、
でも、お弁当箱のふたをあけたとき、つかの間、会社員としての自分から、
個人としての自分に戻れるような感じがする。
これが、コンビニ弁当だったり、買ってきたおにぎりだったりすると、
不思議と会社生活の延長っぽい。
お弁当だと、このおかずをつくった時の、家のキッチンの様子とか、
菜箸や鍋の汚れ具合だとか、そんなこんながそっくりよみがえってくるような気がする。


とかなんとか言っているのは、夜のうちだけ。
わたしは寝起きが悪いので、朝、起こされるととても不機嫌で、
「……どうしてこんなに疲れているのに、お弁当なんか作らなくちゃいけないのよお!」となって、
お弁当を持っていきたがる同居人を恨むことになるのだ。
さて、明日のお弁当作りと怒涛の1日に備えて、寝よっと。