15行の書評

いつも楽しみに読んでいる書評サイトがある。
主要新聞の書評欄顔まけの密度の濃い書評が載ることもあるのだけれど、
時々、「手抜き」としか思えないような文章がアップされることもある。
作品と離れて筆者の個人的な体験だけが書かれていたり、
改行だらけの詩のような文章でしかも15行程度で終わっていたり。
そういうのを見るたびに、そもそも書評って何なのだろう、と考えこんでしまう。


中学校で国語を教えていたとき、
「書評を書こう」という授業をしたことがあった。
今まで書いてきた「読書感想文」とは違うんだよ、という説明をして、
「あらすじ」と「意見」をきちんと書き分けるように、とか、
「意見」は「感想」とは違うから、「おもしろかった」だけじゃなくて、
どこがどんなふうにおもしろかったのか詳しく書く、とか、
似たような内容の別の本とくらべて書く、とか、
書き方をくふうしよう、な〜んてことを話したような記憶がある。


で、生徒の反応はどうだったかというと、
「読書感想文」よりはるかにはりきって書いていた。
どうも、「読書感想文」といわれると、教師に気に入られるような「感想」を書かなくては、
という強迫観念にかられるらしく(ほんとはそんなことないんだけどね〜)、
「書評」という新しい括りを与えられたことで、
逆に自由にのびのびと書けたのかもしれない。


また、国語教育の世界では、「ブックトーク」というのがはやっている。
これは、二冊以上の本を関連づけて、それぞれの魅力についてスピーチをする、という活動なのだけれど、
そこで要求されている活動は、びっくりするほどレベルが高い。
テキストには、同じ作者の二作品、同じテーマの二作品、同じジャンルの二作品、など、さまざまなバリエーションで、
時には三作品、四作品をならべて比較しつつ、それぞれの魅力を雄弁に語る、というような例が載っている。
わたしは残念ながら、実際の授業や発表を見たことはないのだけれど、
実際に見た人の話を聞くと、小学生でも高学年になると、相当立派な「ブックトーク」をするらしい。
子どもは子どもなりに、「説得力のあるブックトーク」をするにはどうしたらいいかを考えて、
話の組み立てや順序、引用する箇所など、あれこれと工夫をするわけだ。


「おもしろかった」とか、「おすすめです」とか、ぽつんぽつんと言葉少なに感想を言うだけで、
その本を読んでみたいという気持ちを他人にひきおこすことができるのは、
「この人が言うなら」という信頼関係ができあがっている、ごく少数の人間だけだろう。
それも、そういう相手というのは人によってちがっているだろうから、
「書評」として掲載する以上、上記の小学生・中学生レベルのことは、最低クリアしてほしいと思う。
(もちろん、このブログも含め、個人のブログで、「げー、つまんなかったあ」とか、
「チョー感動!」などと書くのは全然かまわない。
 わたしもそうだけれど、ブログを書くことがストレス解消の場になっている人もたくさんいると思うから。)


……などと、いつになく批判的なわたし。
別に機嫌が悪いわけじゃないんだけど。


昨日の萬斎さんの狂言が予想以上におもしろかったので、
そのときにチラシを配られた世田谷パブリックシアターの「狂言劇場その伍」というのにも、
行ってみようかなと思っている。
11月21日〜29日の上演で、S席7500円のところ、世田谷区民は7200円(せこい……)。
これも着物で行っても平気かな。着ていきたいな。


明日は着付教室の学院祭。2ヶ月くらい前から、会社は「休暇」をとっている。
午前中から着物で参加するつもりなので、雨が降らないでほしいなあ……