パワーハラスメントについて

最近よくきくこのことば。
具体的にはどういうものを指すのだろう、と考える。
新聞や雑誌に載っている「事例」は、「そりゃあ絶対まずいだろう」というものばかり。
出版社のようなところでは、そういう露骨な、裁判沙汰になりそうなひどいハラスメントは、
あまり見られない。それは、セクハラも同様。
まして、わたしの勤める会社は、かなり人権意識が高いので、セクハラ、パワハラと、
はっきりとわかるようなケースは、あまり見られないように思う。


でも、でも。
上司が座って部下をたたせたまま、30分以上詰問形式で追い詰めていくっていうのは、
やっぱりパワハラなんじゃないだろうか。
上司自身もこたえられないような、抽象的な質問をたたみかけるように続けたあげく、
部下がやっとしぼりだした答えに、即座に、「全然ちがう!」とはき捨てるように言うのは、パワハラじゃないのかな。
「何言ってるのか、全然わかんない」ということばは?


いや、別にわたしは係争をしたいわけではないのだから、
パワハラにあたるのかどうかは、別に問題ではない。
ただ、前にも書いたように、職場の上司と部下の関係が、
強圧的なだめ教師と、自信をなくしておどおどしている生徒、のような関係になっていて、
いい仕事ができるはずはない、と思うのだ。


さらに厄介なのは、この上司は決して人は悪くない、ということだ。
若手も大勢いる前で、詰問形式で追い詰めて次々にマイナス評価を繰り出すということが、
どれほど部下を傷つけるか、周囲を不快にさせるか、気がついていないのだと思う。
それを証拠にさんざん追い詰めたあげく、ほとぼりがさめたころに笑顔で話しかけてきて、
「いろいろあるけど、いっしょに力をあわせてがんばろーや」みたいな、あまり意味のない連帯感を示すのがおきまりのパターン。


こういうあまり愉快でないことをあらためて書いているのは、
今回は犠牲者が私自身ではないからだ。
自分が叱られているときは、やっぱり自分のことだから、
いやな言い方だなあ、とか、納得できないなあ、とか思っても、
なかなか正面きっての反撃はしにくい。
でも、ここのところその上司より年上のベテランが二人、立て続けに攻撃&説教されていたものだから、
うーん、やっぱりこれはまずいんじゃないか、声をあげなくちゃいけないんじゃないか、と思った次第。


ちょっと変な言い方になるけれども、編集者として、どうせ苦労するなら、著者との関係で苦労したい。
今日は長時間の会議でへとへとになったけれども、
この会議にむけて、著者たちもほんとうにがんばってくれたことがよくわかった。
「昨日寝ていないんですよ」という著者のことばに、心から頭を下げる。
目の前の原稿がどんな苦労の結晶か、よくわかる。そして、にもかかわらず、
やり直し、書き直しをお願いしなくてはいけないことがある。
それはこちらの依頼のしかたが悪かったのかもしれないし、方針が変わったせいかもしれない。
あるいは、著者の理解が足りなかったとか、力不足だったということだって、もちろんあるだろう。
でも、そこでお互いにぎりぎりのところで、ここはどうしても変えてほしい、いや、ここはこのままでいきたい、
そんなやりとりをしながら、本はできあがっていくものだと思う。
だから、著者とのやりとりに、最大限の時間を割きたい。上司の説教をきいている暇はない。
な〜んて考えるわたしは、やっぱり、サラリーマン不適?


夜、小田実のドキュメンタリー番組をみる。
圧倒された。友人への手紙の最後に、自分が命つきるときまで書き続ける理由を、I am a writer. と綴っていた。
なぜか、小田実とほぼ同世代のある児童文学作家の、おっとりとした穏やかな笑顔を思い出した。