古典新訳文庫『変身/掟の前で他2編』

変身,掟の前で 他2編 (光文社古典新訳文庫 Aカ 1-1)

変身,掟の前で 他2編 (光文社古典新訳文庫 Aカ 1-1)

読了。
高校生のときに読んだ印象が強烈に残っている「変身」が、やはり圧倒的におもしろかった。
そして、高校生のときとはまったく違うところにひっかかりながら、感心しながら読んだということに驚いている。


高校生のときはほとんどひっかからなかったこの話のポイントは、
主人公のザムザが、勤勉に働いてきたセールスマンだ、ということである。
「ある朝、不安な夢から目を覚ますと、グレーゴル・ザムザは、自分がベッドのなかで馬鹿でかい虫に変わっているのに気がついた。」
あまりにも有名な冒頭の一文。このあと、この文庫で1ページ半ほど、虫になったグレーゴルの姿が描かれる。
「図体のわりにはみじめなほど細い、たくさんの脚が、目の前でむなしくわなわなと揺れている。」とか、
「右側を下にしようとどんなに力を入れても、ごろんとあおむけの状態に戻ってしまう。百回は寝返りを試みただろうか。」とか。
今回、感動したのは、その後だ。虫になった自分を認識したザムザの感慨が、はじめて語られる。


  「まったくなあ」と思った。「どうしてこんなにしんどい職業、選んでしまったのか。
   明けても暮れても出張だ。オフィスでやる仕事より、ずっと苦労する。
   おまけに出張には面倒がつきものだ。列車の乗り継ぎが心配になる。飯はまずくて不規則だ。
   いろんな人と会うことになるが、長くつき合うこともないし、心を通わせることもない。
   くそっ、こんな生活、うんざりだ。」(33−34ページ)


この文章に続いて、ザムザは体のかゆいところを脚でさわろうとしてすぐに引っこめる。「触ったとき冷たくてぞっとした」からだ。
そしてすぐに、思いは仕事への不満、会社への不満へと戻っていき、
両親の借金を返さなくてはいけないからいまは我慢してるけど、あと5年か6年したら、と将来に夢をいだく。
それから、寝坊したことに気がついて、言い訳を考え始める。
病気だと届けようか、でも「眠りすぎたためにまだ眠いということを別にすれば、なかなか気分もよくなってきた。おまけに猛烈にお腹がすいてきた。」
だから、何とか仕事に行かなければ、とザムザは考えているのだ。


このあとザムザが心配したとおり、会社からマネージャーがやってくる。ザムザの欠勤理由をといただすためだ。
ここから1章の終わりまでの約25ページは、「虫になった」ことはそっちのけで(いや、もちろんそのこととは向き合わざるを得ないのだが)
ひたすらマネージャーの機嫌を損ねまい、会社をクビになるわけにはいかない、という、ザムザの必死の格闘が描かれるわけだが、
いやあ、とにかくこの場面が、ものすごく面白い。身につまされる。


高校生のときには、この場面よりもその後の、家族との奇妙な生活ぶりのほうが印象に残ったように思うのだが、
やはり高校生のわたしには、自分の「職業」や「会社」に対する執着とか憎しみとかあきらめとか、その他もろもろがぐちゃりと混ざった屈折した思い、
みたいなものが、ほとんど理解できなかったのだと思う。いや、無理もないのだが。
それが、今読むと、月曜日の朝にわたしがふとんの中でぐちゃぐちゃ考えてることと、おお、びっくりするほど重なるではないか。


「名作」は時を経てから読み返すと新たな発見がある、という好例。
「変身」は高校生のときに読んだきり、という、サラリーマンのあなた。ぜひ、このみごとな丘沢静也訳で、読んでみてください。